活動レポート

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AGルームでの出来事

up 2022.07.26

その日も、勤務後に特に何も考えずにAGルーム(周産期ルーム)に顔を出しました。
そこには2週間の短期インターンの私にも関わらず良くしてくれていた助産師の槇本さんがいました。もう1人の助産師と一緒に顔を出しに行ったオフィス勤務の先輩達と全員合わせて5人が部屋に集まっていました。
2人の助産師が何かの箱をデコレーションしていたので、患者さんのお誕生日にお菓子でも詰めてあげるのかな、と思っていたので、その箱が死産してしまった赤ちゃんの棺だと聞いた時はとても驚きました。

ここはそういう場所なんだと、それが病院なんだということを思い出しました。みんな明るく過ごしているように見えるこの病院でも、とても悲しくて無念なことが実際に日常に起きているのだということに気づかされました。

そして、部屋の中にいた誰かが言った次の言葉で、僕は一瞬だけその場に凍りつきました。「この箱の中にその赤ちゃん、いるよ。」赤ちゃん用のベッドの上に置かれた小さな箱を指して誰かが言ったのです。その箱も白やピンクなどの明るい色でデコレーションされていました。

その箱の存在にすら気付いていなかった僕は、いきなり現実を突き付けられて、はっとして一瞬体が固まった気がしました。そして、怖いと思いました。恐怖、困惑、無念感、そして信じられないという気持ち。悲しさをその時に感じられるほど、すぐにはその意味をちゃんと理解することができませんでした。
蓋の閉じたその箱の外見だけ見たら、中には花束やお菓子が詰まっている様に見えました。特に異質な空気は感じられない、本当に普通の箱でした。
亡くなった赤ちゃんがその中で眠っていると聞いた後も、その箱の外見だけ見たら僕にはそんな風には思えず、それが置かれた部屋自体も普通でいつも通りに感じました。
「普通ではないこと」が「普通」の中に埋もれているその感覚が、気持ち悪くて、僕は余計に混乱しました。

「箱の中、見る?準備はいい?」とオフィスの先輩に言われて、僕は少し戸惑いました。過去に亡くなった赤ちゃんの姿なんて見たことがなく、数日前には生まれて数時間の元気な赤ちゃんを抱かせてもらったばかりでした。
だから余計にそれと比べてしまって、ショックでした。でもこれが現実であることは確かだから、見ないと絶対に後悔すると思いました。
「この目で見ないと。そのためにカンボジアに来たんだ。」と思い、決心しました。

蓋を開けてもらって、はっきり見えた赤ちゃんの顔は今でもはっきりと思い出せます。目は閉じていて、おめかしもしていました。
だからこそ、動かないその赤ちゃんが本当に人間なのか、と疑いました。
冷たい温度を直に感じると、一気に人間だと実感してしまう様な気がして、触れることはしませんでした。というより、おそらくできなかったのだと思います。
僕は状況を理解しようとしていましたが、その反面、本当に理解してしまうことが怖い自分もいました。
目の前にあるのは、 亡くなっている「人」なんだと、その意味を理論だけではなく、本当の意味で理解してしまうことが少し怖かったです。

今思い返すと、その時は自分にストッパーを掛けてしまっていたと思います。それに少し後悔しています。もしもその時にその赤ちゃんに触れて、もう生の宿っていない人間の体温が伝わってきたら、もっと色々と思うことがあったのではないか、と思います。

カンボジアでは命の価値観が違うという話を先輩にしてもらいました。
亡くなってしまった赤ちゃんは、今回の様に棺に入れられ、見守られながら埋葬してもらえる赤ちゃんばかりではありません。他の場所では、ゴミ袋に包まれてゴミ箱へ捨てられてしまう赤ちゃんもいます。何て薄情なのだろう、と初めは思いましたが、思いやりなどの問題以前に、価値観が違うのだと、理解しました。
きっと、生きている人間を大切にすることの方が重要だという考えなのだろう。それは貧しいからなのか。死産が多いからなのか。色々理由はあるのだろうけど、どちらが正しいかは分かりません。
道徳やモラルに、「正しい」や「間違い」があるのかすら、僕には分かりません。でも、人や文化によって価値観が大きく違うということは分かりました。

赤ちゃんに着てもらうためのミトンを自分で選びました

短期インターン 岸谷

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