1995(平成7)年、ジャパンハート創設者である吉岡秀人医師はミャンマーへ渡航。貧困により医療を受けることのできない人たちに対し、日本から持ってきたお金が尽きるまで治療を続けた。その後、吉岡医師はジャパンハートを設立し、ミャンマーのサガイン管区のワッチェを拠点に協力者と共に医療活動を開始した。
その後、活動は治療にとどまらず、視覚障がい者を支援する社会福祉、人身売買を食い止めるための養育施設運営などに拡大。活動拠点もカンボジア、ラオスと拡大していった。
ASEAN諸国に大規模自然災害が発生した時、医療支援をする災害支援・対策も開始。日本国内でも東日本大震災の被災地に長期的な支援に入った。
脳瘤(のうりゅう)とは頭蓋骨内の欠損部から脳が一部出た先天的な病気
Dream Trainは28人からスタート
震災直後から支援に入り、活動参加者は500人を超えた。
難病の女児のため学生チームが寄付を募り、日本での治療を成功させた。
台風30号の緊急医療支援では、日本の団体としていち早く医療者を派遣した。
ジャパンハートの理念「医療の届かないところに医療を届ける」に賛同した多くの医療者と支援者の協力により、難病を抱える子どもたちの治療を実現。ミャンマー政府からの要請でミャンマー人の小児生体肝移植を日本の大学病院にて実施するに至った。
また、日本の大学病院の小児外科および小児外科医師をカンボジアのジャパンハートこども医療センターへ定期的に招へいし、これまで同国で多くの命が失われていた小児がん治療へのアプローチを本格化していく。
現在、ジャパンハートには医療者にとどまらず各業界の専門家が参加し始めている。
これまで抱いてきた医療=治療という概念を変えていくというのがジャパンハートの新たな挑戦である。医療を、治療という範囲だけでなく、一人ひとりの「人生の質の向上」という観点からもサポートしていく。病気による患者とそのまわりにいる家族の精神的・経済的負担にも目を向けアプローチしていくという概念にシフト。ジャパンハートのこのアプローチは、医療者だけでは難しく、広く各業界や専門家との協働で実現しつつある。
“医療”というプロジェクトは、誰もが当事者となり得るプロジェクトとなるよう、挑戦をしている。