活動レポート

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【令和6年能登半島地震】阪神・淡路大震災での恩を返したい

up 2024.01.23

1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災。
1歳の時に、私は兵庫県の神戸市で被災をしました。

その時、たくさんの方に支援をしていただき、今の私がいます。
そのことを家族や周りの方からたくさん聞いて育ちました。

「いつか自分が被災者の方へ支援がしたい、恩返しがしたい」と思い、
看護師になりました。
そして、29年後の2024年1月17日。私は看護師として輪島市の避難所にいました。

この日、私は被災者の方とたくさんお話しをしました。
私が沢山の方に支えて頂き、今があること、神戸は復興し、被災した方々も1歩1歩前に向かって進んでいること。そして、いつかこの場所も前のように復興する日がきっと来ること。今、日本中が1日でも早い復興を願っていることをお伝えしました。
私の話しを涙ぐみながら聞いてくださった被災者の方が何名もいました。

支えあうということ

今回、私は輪島市の門前町という場所で支援活動を行いました。
避難所に入って1番に感じたことは“協力”です。

避難所は未だに水は使えず、道路状況も悪い、そして家族や親戚を亡くし、家も失った方が何名もおられました。
震災から2週間が経過し、気持ちも身体もつらい中で、自分のことだけでなく、周りの方のために掃除を行ったり、支援物資の仕分けをしてくださったり、ご高齢の方が使用する
トイレの水くみや見守りを行っている子どもたちの姿がとても印象的でした。

私たちジャパンハートは医師・看護師・調整員でチームとなり、活動を行っています。
私たちだけではなく、他の医療チームや自衛隊、災害支援ナースや地域の方、他県から応援に来たボランティアの方など、様々な方と連携をしながら活動を行いました。
特に私たちは、避難所にいる方の健康管理、周辺の避難所の健康相談、どんどん増えていく発熱者の対応、そしてコロナウイルスやインフルエンザに罹患された方の対応が中心でした。
行政の行き来が多い大きな避難所以外も、周辺にある小さな避難所や、個人宅にも訪問しました。
そして、行けば行くほど、ニーズがある現状。どこに行っても先の見えない“不安”と闘いながら、今を生きている方がたくさんいました。

一人一人の話を聞き、限られた環境の中で被災者の方と一緒に、今できる最善の対応を考えながら活動を行いました。
どの場所に行っても「本当にありがとう」「誰に相談すれば良いかも分からなかったから、本当に助かりました」などの言葉をたくさんいただきました。
課題や問題は多くありますが、私たちの活動が確実に被災者の方へ“安心”を届けることができているという実感がありました。

どうかこの方々が、どうかここで頑張ってくれている子どもたちが、1日でも早く心から笑顔になれる日が来ますように。明るい未来が待っていますように。
私はそう願いながら、私ができることを精一杯やっていこうと思います。
私たちジャパンハートは今、数カ所の避難所に拠点を置きながら活動を行っています。
それぞれが、離れた場所で活動をしていますが、“全ては被災者の方のために”という思いは1つです。
チームとしてジャパンハートの柔軟性を活かし、今後も活動をしていきたいと思います。
そして、私たちがこうして活動ができるのは、支援をしてくださっている方々のお陰です。
ご協力本当にありがとうございます。
今後とも温かいご支援をよろしくお願いいたします。

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頻繁に余震も起き続けています。皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。
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ジャパンハートの国際緊急救援(iER)

ジャパンハートの国際緊急救援iER(International Emergency Relief)では、国内外で発生した大規模災害に対応し、緊急医療支援を実施しています。
■2011年3月~2014年3月 東日本大震災緊急支援
■2016年4月 熊本地震緊急救援
■2020年4月~2022年9月 新型コロナウイルス感染症緊急救援
■2021年8月 令和3年8月豪雨災害緊急支援
■2022年9月 台風14、15号緊急支援台風
■2023年7月 豪雨で被害甚大な福岡県久留米市へ医療チームを派遣し、人的・物的支援実施

今後も現場の支援ニーズを見極めながら、救援活動を継続的に実施していく予定です。
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