長期ボランティア医師として約9年にわたり現場の最前線で無償の活動を続けてきた、嘉数真理子医師。
長きにわたるジャパンハートでの活動を終えた今、改めて自身の活動について振り返ってもらいました。
ジャパンハートとの出会いと、カンボジアへの決意
ー約9年にわたるジャパンハートの活動が終わりますが、現在のお気持ちはいかがですか?
やり切った気持ちがある一方で、少し寂しい気持ちもありますね。皆の成長をもう少し見ていたい気持ちはありますが、活動に一区切りつけるタイミングだと感じています。
ーこれまでも日本に戻れるタイミングはあったと思うのですが、なぜ今となったのでしょうか?
もともとは2年の予定で、ジャパンハート子ども医療センターの病棟立ち上げのためにカンボジアへやってきました。地元・沖縄でやりたいこともあり、新病院(アジア小児医療センター)開院の話が出たタイミングで帰国しようかとも思ったのですが、最終的には新病院の立ち上げまでコミットすることに決めました。

昨年開院した、アジア小児医療センターにて
ーそもそものジャパンハートとの出会いは何だったのでしょうか?
研修医の頃に、現在ジャパンハート医療センター院長を務める神白先生の講演会で話を聞いたのが最初の出会いです。「毎月、3週間は沖縄の病院で働き、1週間はミャンマーで活動している」という話を聞いて、「不思議な働き方をしている先生がいるな」と思ったことを覚えています。ただ当時は研修を始めたばかりで、まずは小児がん治療で一人前になろうと考えていた頃でしたので、すぐにジャパンハートで活動したいとは思いませんでした。
ーそんななか、カンボジアで活動することになったきっかけは何だったのですか?
小児がんに関する講演会で「日本では8割が助かるけれど、途上国では2割も助からない」という話を聞き、大きな衝撃を受けたのがきっかけです。そこからベトナム、ラオス、カンボジアなど途上国の病院を訪れ、ジャパンハートの活動にも参加するようになりました。カンボジアでの出張診療中に「ジャパンハートがカンボジアに子ども病院を作る」という話を聞き、仕事を辞めて本格的に参加することを決意しました。
混乱のなか始まった、小児病棟の立ち上げ
ー活動当初のことは覚えていますか?
私が赴任したのは、小児病棟が開く半年前。活動拠点となる病院はすでにあったものの、現地の状況を把握してスタッフとの信頼関係を築くところから始め、それでも結構カオスでしたね(笑)。建物は着々と完成していくのに対し、運営面の準備はなかなか進まず、病棟オープンの3か月前にようやく開院に向けたブレインストーミングが始まるほどでした。子どもを診ることもできない半年間は、人間関係にも悩み、ストレスを感じていた気がします。
ーカンボジアで初めて診た患者さんは覚えていますか?
当時、ジャパンハートで支援していた神経芽腫のレッカナーちゃんという子が、日本での治療を終えて戻ってきていました。引き続きカンボジアで化学療法を続けることになっていたのですが、必要な薬がどこで手に入るかも分からず、無菌室もない。日本では考えられない環境で治療を続けなければならない状況に、「途上国で小児がん治療をするとはこういうことなのか」と痛感しました。

治療時のレッカナー(左)昨年、嘉数医師が訪れた際には元気な姿を見せてくれた(右)
それでも、カンボジアに残り続けた理由
ー当初2年間の予定から、なぜ活動を続けることにしたのですか?
小児病棟がオープンしてからは、各地の病院を訪問するなかで信頼を得られるようになり、徐々に患者さんが増えていきました。2年目には病院でできることがどんどん広がり、助かる患者さんも増えてきた。このままいけばもっと多くの子どもを助けられると感じ、3年目以降もカンボジアに残ることを決めました。

2018年に開院した、ジャパンハートこども医療センターでの活動
9年間活動を続けてこられた原動力、そしてこれからの歩みについては5/4アップのインタビュー後編をご覧ください!
▼プロジェクトの詳細はこちらから
https://www.japanheart.org/tag/cambodia/

