活動レポート

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今、現実に目の前にある患者と医療。

up 2020.05.05

カンボジア 看護師 ジャパンハート 今、現実に目の前にある患者と医療。

その患者さんは心臓に病気がある方でした。どんどん病態が悪くなることは必至で、ここでできる治療には限界があります。今、心臓が止まってもおかしくない…。

日本も医療現場でもしもの時、どこまで積極的な治療をするか説明と同意をとりますが、立ち止まって考えてみるとこの“説明と同意”がすごく難しいと思います。先進国では高度化する医療で“命“を延ばすことは可能になってきています。心臓が動いているという意味では。ただ、忘れてはならない、疑問を持ち続けなければならないのは、単に心臓が動いていることだけが“生きている”ということなのか、“生きている”とはどういうことかということです。

この患者さんと家族には、現地スタッフと共に話をしました。この患者さんが今どれほど重症で危険なのか、ここでできる“命”を救う治療はもう限界にきていること、本格的に積極的な治療をするなら首都の大きな病院に搬送しなければならないこと、残された時間をどう過ごしたいか…。よくこういった説明をすると返ってくる答えは「大きい病院に行きたくない」もしくは「大きい病院に行くことができない」です。その理由は「大きい病院で治療を受けられるだけのお金がない」というのが大半です。それと、カンボジアで今も根深く残っている医療への不信感も影響しています。

カンボジアでは、所得が一定水準に満たない人はバーンクレイクロー(直訳poor card)を持っていれば、無料で救急車の搬送や治療を受けられますが、この社会保障制度も時と場合によってはうまく機能しません。そのため、私たちの病院には貧しい患者さんが最後の望みをかけて来ることもあります。勿論私たちもここで手は尽くしますが、ここでみきれないほどの重症患者さんには初期対応をし、よくなることを願って大きい病院への搬送を検討していきます。しかし、この搬送が本当に患者さんにとってよいのかどうかは分からないのです。

カンボジアは歴史的・文化的背景からまだ医療レベルは十分ではありません。私たちが患者さんを大きい病院へ搬送しても、病状が悪化し、十分に対応してもらえず、治るものも治らなくさせてしまうかもしれないのです。この現実が人々の医療に対する不信感をより根深くさせ、今も伝統療法の方が信頼されています。そのために受診が遅れて病気が進行し、手遅れの状態ということは珍しいことではありません。だから搬送をするか、積極的な治療をするかなどの選択を迫られることはこの患者さんのケースのように日常的にあります。そんな時、私たちの勝手な思い込みや安心のための治療や搬送の選択であってはならないし、本当にそれが患者さんのためなのか、患者さんが望むことなのか考えないといけないと思います。

その患者さんと家族は、積極的な治療を求めて大きな病院への搬送を選ばず、かと言って、このまま自宅に帰ることも、ここでいよいよ心臓が止まっても心臓マッサージを「やらない」ことも選ぶことができませんでした。そして間もなくしてその患者さんの心臓は止まりました。この状況で私たちにできることは心苦しくも心臓マッサージをすることでした。何度経験してもこの侵襲的な処置は本当に心をえぐっていきます。もちろんプロとして毎度冷静に努めて行うのですが…。
最終的には家族も納得し、蘇生処置の中止という形で病院でのお看取りとなりました。とても穏やかな最期とは言い難かったです。お見送りの時心に強烈によぎるのは、ここでできる医療の限界と、命は救えない場面でもその人の心に本当に寄り添えることができていたかという問いです。“限りある命の残された時間”について考えることは、患者さんを想うし、各々のスタッフの人生観や死生観にも触れてくるし、自分自身にも深く切り込んできます。日本でも難しいと感じるこのようなことを、命や人生に関わる背景や価値観が異なる場所で実践することは、よりそれを難しくします。

ですが、ここで働く以上はその目の前の現実、限界を「しょうがない」と諦めてはいけないと思います。難しいからこそ、当事者意識を持って向き合い続けなければいけないと思うのです。カンボジアの医療に関する問題や課題に対して今目の前でできることは小さく、無力に感じることも多いですが、それでもできることからカンボジア人と共に模索していけば、いつか現実がいい方向に変わっていってくれるかな…と思っています。大事なことはいつもこうやって目の前の患者さんが教えてくれるのです。

カンボジア 看護師 ジャパンハート 今、現実に目の前にある患者と医療。

カンボジア アドバンスドナース 松見瑛莉子

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