異国の地で医療に向き合う——その決断の背景には、それぞれの看護師が歩んできた様々な道と、心の揺れ動きがあります。
ジャパンハートのメディカルチーム(MT)として東南アジアで活動する看護師たちは、半年間の離島医療を経て、各々東南アジアの医療現場へと向かいます。限られた資源、多様な価値観、そして言葉の違い。決して簡単ではない異国の環境の中で、彼女たちは何を思い、どのように自分自身と向き合っているのでしょうか。
今回は、2025年11月からジャパンハート医療センターで活動し、3か月目を迎えた水野看護師にお話を伺いました。3か月という節目に、彼女がここにたどり着くまでの道のりと、カンボジアでの日々の中で感じている葛藤や手ごたえをお届けします。

始まりは、「人と関わる仕事」への想い
地元の石川県で看護師として働いていた水野看護師は、幼い頃から離島医療や国際医療に携わるという夢を持っていたそうです。家族に看護師がいたこともあり、「将来は自分も看護師になるのだろうな」と自然に思い描いていた幼少期。進路を決める際には他の職種とも迷ったものの、「人と深く関わる仕事がしたい」という想いから、やはり看護師という道が一番しっくりきたといいます。
また、「昔から好きな英語と看護の両方を生かせるかもしれない」と思ったことが、国際医療への関心をさらに強めました。学生時代からジャパンハートの存在は知っており、離島医療と国際医療の両方に携われる点に大きな魅力を感じていたそうです。
震災が問いかけた、自分の進む道
しかし、日々の業務に追われる中で、強い想いがありながらも、なかなか一歩を踏み出せずにいました。そんなときに発生したのが、地元・石川県での能登半島地震でした。大きな震災を経験し、彼女は改めて自分の進む道を見つめ直します。
「私自身が直接大きな被害を受けたわけではありません。でも、だからこそ自分の働いていた病院の機能は維持され、被害を受けた地域の患者さんを受け入れるなど、自分にできる役割がありました。」
東日本大震災のとき、彼女はまだ中学生で、被災地からも距離があり、支援は間接的なものにとどまっていた記憶があったそうです。だからこそ、今回の震災が地元で起こり、しかも自分が看護師として働いているタイミングだったことに、大きな意味を感じたといいます。
「自分が看護師として直接支援できる機会は、人生の中でそう多くはありません。このまま地元を離れたら、きっと後悔すると思いました。」
震災は、勤め先を辞めてワーキングホリデーに行くという選択肢に気持ちが傾いていた彼女の心を大きく揺さぶりました。そして実際に、能登の病院へ応援に行く機会もあったといいます。
「時間も人生も有限で、いつ何が起こるかわかりません。だからこそ、そのときの自分が一番“ときめく方”を選びたいと思ったんです。」

離島で学んだ看護
震災を契機に、「離島医療や海外、特にアジアの地域に根ざした医療がしたい」という想いがより明確になった彼女は、ジャパンハートへの参加を決めます。
半年間の離島医療は、彼女にとって大きな転機となりました。天候に左右される交通手段、限られた医療資源。そうした「今ここにあるもので最善を尽くす」環境の中で、自分の中にあった医療に対する固定観念が崩れていく感覚を覚えたといいます。
「同じ日本国内でも、文化や考え方、医療の進め方はこんなにも違うんだ。」
そう感じ、受け入れることができた経験は、カンボジアの医療現場で異なる価値観や医療観に出会っても動じない、柔軟さを育ててくれました。

言語の壁を越えた、確かな手ごたえ
しかし、日本とはまったく異なる医療環境での看護は、想像以上に厳しいものでした。活動当初は、環境・食事・住まい・仕事のすべてが一度に変化しました。特に「言語の壁」は、コミュニケーションが大切となる医療にとって、非常に大きな障害でした。
通訳を介したコミュニケーションでは、「自分はあえてこの言い方をしたけれど、本当にそのままのニュアンスで伝わっているのだろうか」と、何気ない会話でも不安がつきまといます。日本で当たり前に大切にしてきた“言葉選び”が、直接患者さんに届かないもどかしさ。手ごたえのなさに悩む日々が続きました。
そんな中、年末に乳がんが進行した状態で来院された患者さんとの出会いがありました。術後のケアを担当する中で、その患者さんは、自身の腕のしびれや退院後の生活への不安を懸命に伝えようとしてくれたそうです。
彼女は、日本で行ってきた説明を思い出しながら、通訳を介して一つひとつ丁寧に言葉を届け、その患者さんと向き合いました。
そして迎えた退院の日。その患者さんは満面の笑みとともに、クメール語でたくさんの感謝の言葉を伝えてくれたといいます。
「私が伝えたこと、通訳を通してでも、ちゃんと届いていたのかもしれないな」
そう思えたことで、少しずつ言葉を通じた手ごたえを感じられるようになったそうです。

問い続ける姿勢が育てる、看護師としての責任
また、カンボジアでの活動を通して、水野看護師は、自分自身がより責任を持って医療に向き合う必要があると強く感じるようになったといいます。
「日々の処置や薬剤の選択についても、“なぜ”そうするのか。その判断に“どんな意味”があるのか。一つひとつのことについて正面から向き合い、自分の頭で考え、行動する看護師でいたいです。」
現場での経験は、技術以上に、医療に対する“姿勢”や、看護師としての“あり方”を問いかけてくれています。
迷いながらも、みんなと前へ

活動開始から3か月。彼女は、今はまだ自分に何ができるのか模索の途中だといいます。それでも、
「私は、日本人・現地の人を問わず、みんなと一緒に学び、助け合いながら前に進む存在でありたいと思っています。」
そう語る彼女の姿には、カンボジアでの残り9か月という時間に対する、確かな覚悟がにじみ出ていました。
できることが増える一方で、自身の未熟さややるせなさを痛感する日々。それでも、これまでに積み重ねてきた一つひとつの経験が、看護師としての視野を広げ、大きな力となり、患者さんの回復や安心、そして小さな幸せへとつながっています。
長期学生インターン 岡北萠花
▼カンボジアプロジェクトの詳細はこちらから
https://www.japanheart.org/tag/cambodia/

