活動レポート

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「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師 / 長期ボランティア 多木さん
up 2018.07.03

月7日に、一年二ヵ月の長期ボランティア活動を終え、元保健師の多木さんが帰国されました。

Dream Trainのお姉さん、ときに大きなお友達のように子どもたちを支えて下さった多木さんより一年間の感想をお送りいただきました。
これからDream Trainでのボランティアをご検討くださっている皆さまにも、ぜひご一読いただきたいレポートです!

いつも施設に笑顔を届けてくれた陽子さん、本当にありがとうございました!!

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師  ミャンマー ボランティア

蒸し暑いヤンゴン国際空港に降りた時、これから始まる生活への期待よりも不安が一気に大きくなったことをつい昨日のことのように感じます。
しかし・・・敬虔な仏教国の象徴として街に点在する黄金の仏塔と、近代的な高層ビル。
袈裟を纏ったお坊さんや色鮮やかな民族衣装を着た人々の姿と、流行の洋服を着た若者の姿。
伝統や文化が色濃く残る中で、急速な発展を続けるこの独特の街並みを、この先二度と出会うことがない光景かのように写真に収める観光客の姿こそが異質なものであるとふと感じるとき、この国で過ごした時間の長さに気付かされます。

●何を考えたのか
 開所から8年が経ち、時間の流れとともに「子どもを安全に元気に大きく育てる施設」という役割から、「一人の大人としての自立を支援する施設」へと役割が変わっているということは、当初から知識としてありました。
それを自分自身で感じ始めたのは、活動を開始して3ヶ月ほど経った頃、大学入試に不合格だった子たちが、次々と職業訓練に出始めた頃だったと思います。
 それと同時に、高校生の男の子が「プログラマーになれなかったら、プロサッカー選手になりたい」と言ったり、今年大学受験を控えた子が一教科も最低合格点をクリアしていないのに、高得点が必要な医学部への進学を希望していたりと、その時ミャンマーのことをほとんど知らなかった日本人の私からすると、どこか幼く、現実離れしている考え方に大きな違和感を覚えました。
 そんな気付きから、「色んな世界を知って、様々な経験を積んで、沢山のことを感じて感性を磨き、多くの選択肢が持てるように応援すること」が今必要なことではないか、今の自分にできることではないかと感じたことが、この1年の活動の大きなベースとなりました。

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師  ミャンマー ボランティア

●保健師の視点でミャンマーから感じたこと
 ある時、子どもが廃材で切り傷を作り、ミャンマー人の先生が「病院に連れて行く」と受診の準備をしていたことがありました。
「それなら私でも処置できる」と申し出たら、「違う、破傷風だ」と言われ、ハッとしました。
 日本だと公的な支援として乳幼児の予防接種制度が整っており、子どもが木で怪我をした時に破傷風のリスクを考えることはあまりありません。
理想的なシステムにより、病気を気にせずに安心して生活することができます。
しかし、それは当たり前ではないことに気付きました。世界が日本のようになるのが理想かもしれませんが、現実はそういう訳にもいきません。
でも、そんなシステムが無いからこそ、ミャンマーの人たちは自分の健康を守るという意識と知恵をしっかりと持って生活をしています。

 また、日本は、子どもが清潔な環境で質の高い医療と教育を誰もが満遍なく受けることができ、世界で一番低い乳児死亡率を誇ります。
でも、子どもの声を気にするあまり保育園を新設できなかったり、公共交通機関での子どもの泣き声やベビーカーの使用について議論されたり、こんなに大切に子どもを育てているのに社会は不寛容になって来ている気がします。
 ミャンマーでは、家族や親戚という垣根を超え、社会全体で寛容に子どもを育てているという印象を受けました。子どもを見れば、「可愛いね」と気軽に声を掛けます。
職場に子どもを連れて来るのも珍しいことではなく、世話をできる人ができる時に、子どもをあやしています。
ミャンマーでは、貧困で、病気で、事故で、紛争で、日々たくさんの子どもの命が失われています。
清潔とは言い難い環境で、誰もが医療と教育に恵まれているわけではありません。
それでも、母親も子どもものびのびと幸せそうに暮らしていると感じました。
人と人との助け合いで成り立つ社会。でも彼らの言動から察するに「助け合っている」という感覚は少しも無く、それは極々当たり前のことなのだろうと思いました。
ここを温かく素敵な国だと感じずにはいられませんでした。

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師  ミャンマー ボランティア

●活動内容 —日本語の指導—
 日本語の指導は、将来就職に有利になるように資格取得を目指す、語学力を身に付けるという目的だけではなく、「目標に向かって一生懸命頑張る経験の一つにして欲しい」「これまで話せなかった人とコミュニケーションが取れるようになることで、影響したりされたり、自分の世界が少しずつ広がっていく感覚を楽しんで欲しい」という目的を大切にしながら授業を展開しました。
日系企業への就職を目指す子の日本語クラスでは、社会人としてのマナーや「日本人はどんなことを大切にして働いているのだろう?」といったテーマも扱いました。

●活動内容 —女の子に対して—
 安全管理上、女の子は学校と施設との往復以外の外出があまり出来ません。
サッカー関係のイベントが多い男の子に比べて、テレビ鑑賞が娯楽で、日本人の私から見ると籠の中の鳥のようでした。
そのうち、運動不足や体力不足が起因と思われる、肥満傾向の子、肩こりや腰痛を訴える子、気温差で体調を崩す子が多くおり、男の子の方が成績の良い子が多いということにも気付きました。
「何か簡単に体が動かせて、楽しい気分になれるものはないかな・・・」そんな思いから、学生時代に少しだけやっていたチアダンスを教え始めました。
 華やかなポンポンと好きな音楽を使った簡単なダンスに、今までダンスに興味を示さなかった子もたくさん参加してくれ、手応えを感じました。
ダンスがきっかけで距離が縮まった子も大勢いました。
日常会話程度なら通訳を挟まず会話できるようになっていたこともあり、その子の意外な一面に気付き、良いところをたくさん見つけることが出来ました。

 大舞台である「MakeSense Charity Dance Festival」や「CBF CAMP WITH EDMILSON AT MYANMAR 2018」で踊らせていただいたことは、特に思い出に残っています。
当日に至るまで、大変なことも沢山ありましたが、みんなで大きな達成感を味わうことが出来ました。
ヤンゴン日本人学校チアリーディングチーム「GOLDEN SHINES」のお友達との交流は、言葉が通じない中、ダンスが好きな気持ちを共有しながら過ごしたとても楽しい時間でした。
素敵なご縁に本当に感謝しています。

 また、女の子が余暇を利用して作っている、刺繍やタディングレースの美しさに注目し、これらの手芸品を販売することを通して、「多くの人と関わる機会を持てると良いな」「ダンスには参加していない、おっとりした女の子にも、外出の機会を作ってあげられると良いな」と考えました。
縫製を教えているミャンマー人の先生とも協力して、何度もデザインや色合いの話し合いを持ったり、材料を選ぶために一緒に買い物に出かけたり、頂いた意見を元に作品の改良や新商品の開発を行ったりしました。時々言い合いもしながら、一緒に過ごした時間はとても楽しいものでした。

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師  ミャンマー ボランティア

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師  ミャンマー ボランティア

●たくさんの気付きと思い出をありがとう。
かまって欲しいのだけれど、素直でない男の子。
昼食前、小学校にお弁当を届けに行った時、「ありがとう!」と誰よりも最後まで手を振り続ける可愛い姿を見たとき。

日系企業にて職業訓練を行う通信大学生の男の子。
「僕に仕事を紹介してくれ、日本語を教えてくれている先生たちに、僕の初めてのお給料でご飯をご馳走したい」と、頭を掻きながら照れた表情で言ってくれたとき。

悲しい顔をしていると、沢山の子が「泣かないで!笑って!」と声をかけてくれたとき。
「重い背景を背負った彼らは、ずっと泣いていても人生は何も変わらないと知っているのかな・・・」と感じさせられたとき。

日本語の授業終了後、片付けをしながら「楽しいな」と小さく呟いた女の子の満面の笑みを見たとき。「僕は漢字が好きです。たくさん教えてください」と、いつもおっとりしている男の子が笑顔で言ってきたとき。高校に入学して最初に目指した日本語教師という夢を10年以上経って叶え、「とても恵まれているな」と思わずにはいられなかったとき。

日本語の授業で何気なく出した「もし100万円あったらどうしますか?」という質問に「半分を両親にあげて、半分をDream Trainにあげます」と答えた男の子。
「欲しいものとか行きたいところはないの?」と尋ねると、「だって、僕は大学へ行き、こうして日本語も勉強しています。
今の生活に満足しています」8歳年下の彼が穏やかな笑顔で言ったその言葉に、彼を心から尊敬するとともに、現状では満足できず「もっと、もっと」と更に求める自分を省みたとき。

カチン州から出てきたばかりの中学生の女の子。
転校初日の通学に付き添った際、とても緊張した表情だったので、「お友達すぐにできるよ」と声を掛けたら、隣にいたミャンマー人の先生がすかさず、「前の学校の近くには兵隊さんがたくさんいたのかな?ヤンゴンにはいないからね。
もう何も怖いものはないよ、大丈夫」と彼女を安心させており、この国の子どもが置かれている安全では無い状況に触れたとき。

遺伝性の慢性疾患を抱える18歳の女の子。
「母も兄も同じ病気で死んでいる。だから私、結婚はしない。早く死ぬんだから、旦那さんになる人が可哀想でしょ」彼女が抱える思いを知り、お互いに少ししか通じない日本語とミャンマー語と英語で、一生懸命に気持ちや考えを伝え合ったとき。

料理人を夢見る男の子。
日本料理店への就職面接に向かうタクシーの中、「昨日の夜、私も緊張して遅くまで眠れなかった」と冗談めかして伝えると、真剣な表情で、手をギュッと握ってきたとき。後日、職業訓練を開始した彼の初々しい板前姿を横目に、美味しい日本料理をいただいたとき。

毎日が小さな幸せと気付きに溢れ、時が一瞬止まったような不思議な感覚を何度も体験しました。
間違いなく、人生で一番心が豊かであった一年だと思います。

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師 ミャンマー ボランティア

私のことを温かく受け入れてくれたミャンマー人スタッフの皆さん、素晴らしい取り組みを通して活動の基盤を整えてくれたこれまでの日本人ボランティアの皆さん、多くの時間を共に過ごした個性豊かな日本人スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。私に関わってくださった全ての皆様に、心からお礼申し上げるとともに、Dream Trainの子どもたちの健やかな成長を切に願い、活動レポートを締め括らせていただきます。

「たくさんの気付きと思い出をありがとう」元保健師 ミャンマー ボランティア

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