地震発生!その瞬間
ちょうど1年前の2025年3月28日12時50分。
その時、私は震源地のザガインから約600km離れたヤンゴンにある事務所で、ちょうど昼食を終えてパソコン作業を再開したところでした。
ゆっくりとした横揺れを感じ、事務所内にいたスタッフと共に「揺れてる?地震かな?」と話をしていたところ、日本の佐藤事務局長から電話が入り「吉岡先生と電話の途中で大きな音と共に『地震や!』という声で電話が切れた」と。
吉岡はワッチェ病院で医療活動中…ということは、ワッチェ病院周辺のザガインが大変なことになっていると直感し、事務所にいたスタッフ全員で手分けして情報収集をしながら、ワッチェにいる現地スタッフの携帯に電話を掛けますが、全く繋がりません。そうこうしているうちに、マンダレーからザガインに渡る橋の一つが崩落している写真や、各地でビルが倒壊している写真がSNS上にアップされ始めます。
そして地震発生から1時間ほどして、ようやく繋がった電話での吉岡の第一声は「病院、崩れたで」
私たちの活動の原点でもあり、医療活動拠点のワッチェ病院が使えなくなった…。
だからといって立ち止まっている訳には行きません。
「これは私たちが何とかしなければ…」と、その瞬間から約1か月に渡る災害緊急支援活動が動き始めたのです。そしてこの時のことは、1年経った今でも鮮烈に記憶に焼き付いています。
そして1年。被災地の今
大地震発生から1年という節目が近づくにつれ、病院での医療活動中に大地震を経験しその後も被災地域で暮らすスタッフたちと「そう言えば、もうあれから1年になるんだね」といった会話をする機会が少し増えました。
逆にいうと、1年という節目がなければあの大地震に関する話をする機会は日に日に減ってきていました。
だからといって、被災による影響はもうなくなったのか?と言われると、そういう訳でもありません。
ザガインの街を見渡してみると、街の中心にある大きな市場の建物は立ち入り禁止となったまま放置され、その代わりに道路上にずらっと並んだ屋台で人々は買い物をしています。
学校でも仮設校舎の限られた教室を、複数の学年がシェアしながら授業が行われています。
そしてあの崩落した橋も撤去された部分はあるものの、一部はまだそのまま。
他にも所有者の明らかでない建造物に関しては、地震発生当時に崩れたままの形で放置されているものもあります。

一部残ったままの橋

1年経ってもそのままの獅子の像
さらに大地震以前からの不安定な情勢による物価高や電力不足などの困難に加え、被災以降ワッチェ病院を含むザガイン周辺では軍と民主化の衝突がより激しくなり、治安の悪化による生活の不便さも深刻になっています。
にも関わらず、日中の街中ではバイクや人がひっきりなしに行き交い、仕事や学校や買い出しに出掛ける人々で街は賑わっており、人々はそこで強くそして明るく生きようとしているように見えます。もちろんその中には地震で家族や住居を失い、その辛さや苦しみを胸の内に秘めながらも、何とか前を向きながら生きている人たちいるはずです。それでも街全体に活気あるように見えるのは、今までも様々な困難を抱え、それらを乗り越えながら生きてきた人々の強さなのかもしれません。

人々で賑わう市場
そんな中でも医療を止めない
病院の一部が損壊して立ち入り禁止となったワッチェ病院は、被災2か月後の6月頭には部分的な改修を終え病院建物内での医療活動を一部再開し、そして4か月後となる8月頭には全面的再開となりました。

ワッチェ病院の入院病棟
周辺の情勢悪化で、患者さんたちが病院までやって来ること自体が難しくなりつつありますが、それでも私たちを頼ってやって来る患者さんたちがいます。
ただらこそ、私たちは災害や情勢の変化に翻弄されることなく、最後の砦として「決して医療を止めない」という覚悟で活動を続けています。

手術前の患者さん

治療を受けた患者さんとご家族
ミャンマー医療事業 河野朋子
▼ ミャンマープロジェクトの詳細はこちらから
https://www.japanheart.org/tag/myanmar/

