活動レポート
カンボジア
2026.07.24

2015年、当時のジャパンハート国際長期看護師研修へ参加し、その後は離島・ミャンマー・カンボジアとさまざまな地で活動に携わってきた藤井看護師。
一度ジャパンハートでの活動に区切りをつける今、10年以上にわたる活動について振り返ります。
今はすっきりしています。本格的に「活動を終える」と決めてから、実は2回ほど延期してきました。
最初は寂しさや後ろ髪を引かれる思いがありましたが、今は寂しさはあるものの、次に向かっている感覚ですね。
最初にジャパンハートを知ったのは2014年頃。その年の説明会に参加し、2015年に看護師研修に参加しました。
へき地・離島医療と国際医療に興味があり、両方の活動ができる団体がジャパンハートでした。
当時は今ほど知名度も高くなく、正直不安もあったのですが、説明会で体験談を聞いて自分のやりたいことと合っていると感じ、すぐに応募しました。
ずっと参加したいという気持ちは持っていたのですが、スキルや自信が足りないと思って「もう少し経験を積んでから」と考え、それを毎年繰り返していました。
でもふと、「昨年も同じことを思っていたな」と気づいたんです。
自信やスキルはいつになっても完全には身につかないかもしれない。だったら今行かなければ一生行かないかもしれないと思い、「通用するかわからないけど、やってみよう」という気持ちで決めました。

正直に言うと、特に大きな感情の動きはなかったです。活動そのものに対する不安もあまりなくて、むしろ「これでいいのかな」という不安がありました。
離島活動時は分かれて活動していた同期7人が初めて揃ったのがミャンマーで、最初は少しよそよそしさもありましたが、すぐにずっと一緒にいたかのような感覚になりました。
朝までミッション(手術活動)の対応をした後にスライドを作ったり、一度に20〜30人の患者さんを一人で診ることもありました。
インターネットも通じていなかったので、これまで自分が積み重ねてきた知識や経験を総動員して対応する、そんな感覚でした。
「今日より明日、明日より明後日」と少しでも良い方向に向かうよう考えながら毎日対応する日々。
本当に患者さんのことだけを考えて過ごした3ヵ月だったと思います。
だからこそ、患者さんの状態が良くなっていくのは本当に嬉しかったです。
日本だとすぐに先生に相談もできますし、調べられる環境がありますよね。
ミャンマーはそのような環境ではなかったので、本当に「今までの自分」を試されている感覚でした。
「もう少しできたのではないか」という悔しさもありましたが、それがあったから「もっと勉強しないといけない」と思えた部分もあります。

当時はカンボジアにジャパンハートの病院が建つ前で、連携病院に同期がそれぞれ一人ずつ入る形でした。
クメール語も全く勉強していない状態で、英語も得意ではなく、コミュニケーションはかなり大変でしたね。
また、カンボジアと日本の医療者との意識の違いを強く感じました。
患者さんがいても午後になると医療者がほとんどいなくなってしまうこともあり、「どうしてこんなにも患者さんに優しくできないのだろう」と、当時はカンボジア人に良い印象を持つことができませんでした。
でも、カンボジアの医療者がふとしたタイミングで思いもしない行動を取った瞬間に、なぜか愛おしさを感じて。
「理解できない」と思っていたけど、「こんな一面もあるんだな」と。
もしかしたらその人の一部分しか見ていなかったのかもしれない——そう思うようになって、だんだん愛着のような気持ちが湧いてきました。
たまに同期と一緒に活動する機会はあったものの、病院にいる日本人は基本的に私一人。同期との活動が終わり、自分一人で病院に戻っていく時は寂しかったですね。
こうして1年間の研修生としての期間を終え、アドバンスドナースとして引き続きジャパンハートに在籍する選択をした藤井看護師の思いとは。
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