トピックス

Share /

トピックス詳細

← トピックス:トップへもどる

【緊急支援】ミャンマー地震ー ご寄付・ご支援のお願い

up 2025.03.28

【緊急支援】ミャンマー地震ー ご寄付・ご支援のお願い ジャパンハート

▼クレジットカードでのご寄付はこちら▼

今すぐ寄付をする

日本時間の3月28日午後3時20分ごろ、ミャンマー中部のマンダレー付近を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生しました。

被害の甚大な震源地付近で、巡回診療、医療物資支援、水・食料配布を実施

ジャパンハートは、今回の震源地とされるミャンマー中部に位置するザガイン管区のワッチェ慈善病院を拠点に活動しており、地震発生時には創設者で小児外科医の吉岡秀人が被災、手術中で全身麻酔をかけた患者を人工呼吸器具を使いながら屋外へ緊急搬送したほか、施設で2棟あるうちの1棟が崩壊するなどの被害を受けました。

翌3月29日早朝には震源地エリアに緊急調査チームを派遣、また、水・食糧といった物資支援を開始しました。
3月31日より、地震による崩壊で運営不可能となったワッチェ慈善病院の敷地内での屋外診療および、
巡回診療のための支援チーム編成と活動準備を開始し、さらに首都ネピドーにある1,000床規模の基幹病院から要請を受け、
医療物資のほか水・食料などを直接届けました。
そして4月1日からは、ワッチェ慈善病院敷地内での医療活動と、ザガイン管区での巡回診療も実施しています。

ジャパンハートが4月1日から5月末時点までで診療したのは、20ヵ所で3,000人以上。
また、のべ4,000世帯に食糧・生活物資支援を届けています。

今後は、医療支援を継続しながら、
一部倒壊したワッチェ慈善病院の修繕、被害の大きい地域への巡回診療などを、中長期的に実施していく予定です。

多くの方々からご心配と励ましのお言葉をいただき、深く感謝申し上げます。
皆様の引き続きのご支援、ご協力の程何卒よろしくお願い申し上げます。

最新の活動情報をページ下部に掲載しております。ぜひご確認ください。

最新の活動を見る

ご寄付・ご支援の受付

2025年3月ミャンマー地震へのご寄付を募集しております。
皆様からいただいたご寄付は、本地震への活動に大切に使わせていただきます。

クレジットカードでのご寄付

今すぐ寄付をする

お振込みでのご寄付

以下の口座宛にお振込をお願いいたします。
※お振込用紙の通信欄または、ATMのメッセージ欄に「ミャンマー地震支援」と記載ください

ゆうちょ銀行からお振込みの場合
銀行名:ゆうちょ銀行
口座名義:特定非営利活動法人ジャパンハート
口座番号:00910-3-166806

ゆうちょ銀行以外の金融機関からお振込の場合
銀行名:ゆうちょ銀行
預金種目:当座
金融機関コード:9900
支店名 〇九九店(ゼロキュウキュウ)
支店番号:099
口座番号:166806

※認定NPO法人であるジャパンハートへのご寄付は、税制優遇措置の対象になります。
(寄付金額-2,000円)×40% の額が所得税から控除されます。(税額控除方式)

※本活動に必要な資金を上回る寄付をいただいた場合、今後の緊急救援活動やその準備など、ジャパンハートのその他の活動にあてられます。また、活動状況や資金調達状況に応じて、本募金の受付を予告なく終了する場合があります。
※領収書については こちら をご確認ください。

ミャンマー地震・患者のいない病院と、あの日のままの手術予定ボード(2025年5月23日更新)

ジャパンハートが設立された2004年から最初に構えた拠点病院として、
国のさまざまな転換期を迎えながらどんな時も活動し続けてきたのがこの場所です。

軍政以降は命からがら訪れる人々が後を絶たず、入院ベッドには多くの患者さんと家族であふれていました。
しかし、3月28日の大地震の被災により、入院部屋には今は誰もいません。
あの日予定していた手術予定のボードもそのままで残っています。

継続した治療が必要な患者さんたちが、私たちを待っています。

ミャンマー地震・傷跡に隠れた想い(2025年5月16日更新)

地震から3週間ほど経ったある日、私たちの移動診療を訪れた1人の女性患者さん。
酷い肩こりと頭痛があり、夜には動悸がして良く眠れない…とのこと。
地震後2週間ほど経ったあたりから、「動悸がする」「夜、良く眠れない」「食欲がない」という訴えで受診する患者さんたちが、明らかに増えていました。

この患者さんも、淡々と肩こりや頭痛の症状、地震後の生活の大変さを訴えます。
そして、私たち医療者もその大変さを少しでも理解したいと、その1つ1つに耳を傾けます。

その時、身振り手振りを交えて話をする患者さんの右腕に、治ったばかりと思われる大きな傷跡があるのが見えました。「地震の時に建物が倒れてきて、大怪我をしたのよ」と。その途端、それまで淡々と話をしていた患者さんの目から涙が溢れます。

そこで語られたのは、シングルマザーとして大切に育ててきた14歳の一人息子を地震で亡くしていたという事実。街中の飲食店で調理師として働いていた息子さん。 この女性も大きな怪我を負いながらも、地震直後の混乱の中を必死で息子を探しに向かいますが、そこで目にしたのは全壊した飲食店。翌朝になって見つかった息子さんを最期まで見送って、ようやく自分自身の腕の怪我の処置を受けたそうです。

こんな時に私たちができるのは、背中をさすりながら患者さんの話を聞くことくらいです。ただ、周囲の人々も被災して大変な思いをしている中で、私たちのところが自分の辛さを表出する唯一の場所がだったのかも知れません。この女性も「日本からこんな所まで来てくれてありがとう」といって、少し笑顔になって帰っていきました。

腕の傷は治っても、心が癒えるまでには時間が必要。私たちは、これからも被災地の方々に寄り添っていきます。

ミャンマー地震・吉岡医師が再び現地へ(2025年5月9日更新)

吉岡秀人医師がミャンマーを再訪し、ワッチェ慈善病院の被害状況を確認しました。
地震発生時、吉岡医師もザガインで被災を経験しました。
ワッチェ慈善病院では内装の崩壊や窓ガラスの破損・散乱が見られるものの、幸いなことに医療活動を行う建物の構造への被害は限定的で、建て直しなどの大規模工事は不要であることが確認できました。

倒壊家屋や瓦礫の中で、ミャンマーの人々は懸命に復興活動に取り組んでいます。これまでの生活を取り戻すため、倒壊家屋の解体が急ピッチで進められ、病院などのインフラ機能も通常運営への移行に向けた調整が進んでいます。
ジャパンハートは既に緊急支援フェーズを終え、今後はザガインでの医療活動を継続し、慢性的な医療ニーズに対応していくことが求められています。
私たちが通常の医療活動を再開することで、地域の多くの方々が安心して生活できるようになると確信しています。

ミャンマー大地震から1ヶ月・現地での支援活動を振り返る(2025年5月2日更新)

3月28日、私たちジャパンハートが平時から活動するミャンマー中部・ザガイン管区で、マグニチュード7.7の大地震が発生しました。当局によると4月上旬までに3000人以上が死亡、4500人以上がけがをしたとされています。
発災当日、ジャパンハート創設者である吉岡秀人医師が病院内で手術の指導にあたっており、混乱の中で入院患者の緊急避難と地震により運ばれてきた外傷患者の応急処置を開始することとなりました。

ワチェ慈善病院も病棟の半分が崩落し、マンダレーからザガインへ渡る橋のうち一本が倒壊。スタッフと入院患者は奇跡的に全員が無事であったとはいえ、ザガインは孤立状態に。
ヤンゴンに駐在している河野看護師を中心とする第一陣が、翌29日に状況把握のため中部に向けて出発しました。
地震の影響は広範囲に及び、震源地から約290km離れた首都ネピドーでもショッピングセンターが倒壊し、総合病院は多くの患者が運ばれ野戦病院と化していました。

30日以降には、ヤンゴンから支援チームがネピドー、ヤメティン、チャウセー、サガインの総合病院に対して医療物資を届けました。
いずれの病院も院内は倒壊リスクがあるため、屋外にテントを張るなどして仮設病棟を設け、多くの患者を受け入れている状況でした。

3日には、医療資材とワチェ村の住民1000世帯を支援するための食料を車両に積み込み、第三陣が出発しました。
夜にはマンダレー中心部に到着しましたが、驚くことに前日には水と電気が復旧していたとのこと。飲食店も営業を再開している一方、「屋内は怖くて眠れない。地震は生まれて初めての経験で眠れない」と不安を訴える声も。日常に戻ろうとする街の姿の裏に、深い恐怖が残っていました。

翌日サガインに入ると、想像もしていなかった光景が広がっていました。ザガインに近づくにつれて倒壊家屋が多くなり、橋を渡った先の建物の約9割が被害を受け、寺院も門前がボロボロに。未だ救助活動も行われていました。
当然、水も電気も復旧しておらず、マンダレーから川を一本隔てただけで、状況は全く異なっていました。
そんな中でも、避難せずに残ったジャパンハートのミャンマー人スタッフが青空診療を開始し、別チームは巡回診療を展開。他のスタッフも食料支援を行いつつ、現地のニーズを直接聞きながら、今後の支援方針を話し合いました。

ジャパンハートとしては現地の保健省からの依頼もあり、巡回診療チームは活動場所を拡大し、日本やカンボジアからも日本人医療者の応援を派遣しながら、4月24日にいったんの急性期医療支援活動を完了しています。

途上国では先進国と比較して、災害時に死者数が多くなる傾向があると言われています。様々な要因が考えられますが、インフラの面では孤立していたサガインを除いて道路や水道、電気の復旧は想像よりもはるかに迅速に行われていました。大きく異なる点は避難所の設置という公的支援がないことです。倒壊家屋の撤去や避難場所の確保、食料の調達に至るまで、住民自らが行う必要があります。

一方で、仏教国で元々個人の寄付文化も進んでいるため、病院の屋外仮設病棟にはひっきりなしに寄付者が集まり、患者を労う場面が見られました。公助が発達していないからこそ、自助と共助の取り組みとコミュニティの強さを感じ、そこから私たちが学ぶこともあると感じました。
被災地の方々に日本の支援者へコメントをお願いすると、必ず最後に「日本の皆さんが無事で健康でありますように」と祈ってくれました。自らが被災していながら、遠い国の支援者の身を案じる文化と姿勢が、この国の人たちにはあるのです。

数百年ぶりの大地震から1か月。日本から飛行機で8時間の海の向こうで苦しみながらも強かに生きている人たちのことを、少しでも身近に感じて想いを寄せていただければ、それ以上のことはありません。

ミャンマー地震・生活物資支援を実施しました(2025年5月1日更新)

ミャンマー中部・ワチェ村近郊のペーガーゼ村、タドウ村、アーラウン村において、2回目となる生活物資の支援を行いました。
前回は、これから始まる雨季への備えとして、ビニールシートを中心にお届けしました。

それから間もなく、例年よりも早く強い雨が続いた地域では、
住民の方から「ビニールシートを頂けたので本当に助かりました」とのお声をいただいています。

現在も余震への不安から、夜間は屋外で過ごすご家族が多く、
連日のスコールにより、ますます安心して休むことが難しい状況が続いています。
今回は、そうした生活環境を考慮し、食糧と蚊帳を配布しました。住民の方々からは、
「水祭り(ミャンマーの祝祭行事)があり、支援の車も来なくなりました。今後また支援が再開されるか分からず、不安でいっぱいです」「村では食品の価格が高騰していて、買うことができません。今回のように食べる物を支援してもらえるのは本当にありがたいです」といった切実な声も寄せられました。

生活物資支援(2回目)

ミャンマー地震・患者さんの声(2025年4月13日更新)

チャウセー病院では発災当日、約350名の患者さんが緊急搬送されましたが、既に50名が息を引き取っていました。
病院スタッフも怪我をしており、現在は回復したスタッフで医療を続けています。

地震の瞬間、子どもをかばおうとした男性は、建物が崩れ落ちる中で右足を瓦礫に挟まれてしまいました。倒壊した建物の天井が落ちてきたようです。

病院に搬送されたものの、足の損傷がひどく切断手術へ。「つらいですが、他にももっと大変な状況の人を見たので、私は幸いな方だと思っています」と話してくれました。

ミャンマー地震から2週間・巡回診療(2025年4月11日更新)

4月10日は2ヵ所で147名を診察しました。地震関連の外傷などのケースはなく、元々の内科的疾患や地震のストレス・疲労によると思われる不調が多くを占める状況でした。
地震発生から約2週間が経ち、現地では外傷患者が占めるフェーズは終わり、新たな医療が求められています。

被災され家族を亡くした女性のお話(2025年4月7日更新)

マンダレーから車で約3時間半南にあるヤメティンという村で、ある⼥性にお話を伺いました。
発災当時、職場にいた彼⼥が急いで⾃宅に戻ると、3階建ての家はすでに倒壊していました。
「主⼈は2階にいて助かりましたが、1階にいた⺟と娘は⽡礫の下敷きに。
救出までに5時間かかり、⺟は亡くなっていて、娘も意識がなく、かすかに呼吸をしている状態でしたが、その後亡くなりました。
あと少しでも早く助け出せていたら、⽣きていたかもしれません。」
私たちは、ひとり一人に寄り添いながら、支援を続けていきたいと思います。

ザガイン病院 医療物資寄付(2025年4月6日更新)

ザガインの建物損壊率※は60-70%と推測され、昔ながらの家は比較的平常通りである一方コンクリの被害が甚大です。
ザガイン病院へ直接届けた医療物資では、オペ室用のディスポ物品(ベッドシーツ、気管チューブなど)などを支援。JHスタッフとの2人での写真は、たまたま病院へ視察に来ていたミャンマー保健省の方で、ジャパンハートのことも知っていたようです。
ミャンマーの人々と直接会話しながら最新のニーズをキャッチし支援を継続します。
※準半壊レベルまで含む、地域を広く取った時の推測

食料配布を実施(2025年4月5日更新)

食料不足の声が届いていたワッチェ村に、ジャパンハートの病院スタッフや来院患者さんだけでなく村の人々、村へ避難してきた人々にも食料配布を行うことができました。
「来てくれてありがとうございます、皆さんの無事と健康をお祈りしています」というメッセージをいただいています。
拠点のワッチェ慈善病院2棟のうち1棟が崩壊したため実施している屋外診療は、復旧するまで継続、ザガイン管区での巡回診療は現在8ヵ所で行っています。
マンダレーそしてザガイン・ワッチェへの支援のなかで、大きな街から小さな村まで被害の深刻さを目の当たりにしており、引き続き各地の最新のニーズを調査し迅速な救援に取り組みます。

吉岡医師 帰国会見・震源地付近の様子(2025年4月4日更新)

このたび帰国した吉岡秀人医師の緊急記者会見が本日行われました。
「今の情勢で対立する両者とも、今回の災害で被害を受け、互いに支援を必要としている。特に貧困層や年配の方々、子どもたちが命を落とさぬよう、そういう人たちを助けているんだという気持ちでこの問題に関わってほしい」と語りました。

現地からは、震源地に近い、マンダレーからザガインへ向かう道の様子が届きました。
川沿いの道は大きく断裂し、応急的に補修された道は大型車両の長い列ができていました。

※ジャパンハートはミャンマーの政治的情勢にかかわらず20年以上前からこの地で活動をしています。
 吉岡医師および団体は、あくまでも中立の立場をとっています。

外傷の治療に必要な抗生物質・解熱鎮痛剤を支援(2025年4月3日更新)

被災が深刻なエリアでは、外傷やそれで手術した患者さん用の抗生物質が必要です。
今朝ヤンゴンを出発した支援チームは、ザガイン病院への抗生物質・解熱鎮痛剤の支援を行うとともに、
チャウセにも向かい物資支援と次の支援に向けた現地の状況やニーズを調査します。
一方ワッチェ慈善病院のスタッフや周辺の市民からは、日々の食事に困っているという声が届いており、
スタッフだけでなく、ワッチェ村やその周辺の村々への食料支援も実施に向けて準備を進めています。
ミャンマー人も、多くの人たちがいま支援のためマンダレーを目指しています。

屋外診療と医療物資支援を開始(2025年4月1日更新)

屋外診療と医療物資支援を開始しました。
地震による崩壊で運営不可能となったワッチェ慈善病院の敷地内にて、外傷者を含む患者への屋外診療、
さらに首都ネピドーにある1,000床規模の基幹病院の要請を受け医療物資のほか水・食料などを直接届けました。
今後は、被害の大きい地域への巡回診療も視野に入れ、対応を進めていきます。

吉岡医師 ヤンゴン事務所に到着(2025年3月30日更新)

震源地に近いザガイン管区のワッチェ慈善病院で被災した吉岡秀人医師が、悪路を越え、3月30日未明(日本時間)にジャパンハートヤンゴン事務所に到着しました。
地震発生からの状況を受け止めながら、今後の対応に向けた調査と判断を進めています。

現在のワッチェ慈善病院は1階部分が大きく損壊し、全体が斜めに傾いています。

被災当日の状況(2025年3月28日)

震源地とされるミャンマー中部にあるワッチェ慈善病院では、手術中に強い揺れに見舞われました。
麻酔下にある患者を、揺れが収まった直後に現地の医療者たちが中心となって病院の外へ搬送。その後病院の一階部分は崩れ、周囲には砂ぼこりが立ち込めていました。

現地で活動していたジャパンハート創設者の吉岡秀人医師は、地震発生直後からその場で指揮を執りました。
現在はスタッフとともに安全な場所へ移動し、身の安全を確保しています。
また、病院に入院していた患者さんについても、すべて退院が完了しています。

▼クレジットカードでのご寄付はこちら▼

今すぐ寄付をする

ジャパンハートのこれまでの主な国内災害支援・対策活動

ジャパンハートの災害支援・対策セクションでは、国内外で発生した大規模災害に対応し、緊急医療支援を実施しています。

2011年3月~2014年3月 東日本大震災緊急支援

新型コロナウイルス感染拡大への緊急支援活動へのご寄付を募集開始~私たちに今できること~3月17日に被災地へ入り、全国から医師・看護師、一般ボランティアを募り、ジャパンハートとして国内初の緊急医療支援活動を行いました。派遣したボランティアの数は450名を超えました。
現地では、避難所の巡回診療、医療物資の運搬、被災者の心のケア、ボランティアの派遣等を実施しました。
また、地域開業医の方々をサポートするため、石巻に土日のみ営業するジャパンハートこども・内科クリニックを開院し、約3年間にわたり地域医療を支えました。

2016年4月 熊本地震緊急救援

熊本市南区の医療対策本部に入り、医療救護班として避難所の医療巡回支援を行いました。その一方で、南阿蘇の老人介護施設に要介護避難者受け入れの要請が多数発生し、困窮している、と言う情報を受け、現地視察。自分たちの力で脆弱な高齢者を守る福祉避難所を申請した施設の要望にこたえ、看護師チームを派遣しました。

2020年4月~2022年9月 新型コロナウイルス感染症緊急救援

新型コロナウイルスと闘う人々を支え、医療崩壊を防ぐ1. 医療支援チームの派遣
長崎県から、「コスタ・アトランチカ」の乗組員への医療支援活動に対する要請を受けて4月29日~5月18日にかけて医療チーム(医師・看護師)を派遣したことを最初の人的支援活動として、2022年9月までの間に全国201か所の医療機関・福祉施設に対し、のべ485名の看護師を中心とする医療チームを派遣しました。

2. 医療用マスクの配布
「#マスクを医療従事者に」プロジェクトとしてクラウドファンディングやチャリティオークションを実施し、1万5千人の方から募った約1億5千万円の資金でマスク200万枚を調達。第一種指定感染症医療機関、三次救急医療機関、特定機能病院を中心とする合計726の機関にマスクを配送しました。

「コロナを正しく恐れる」ために必要な知識・技術を伝える3. 介護福祉施設への感染対策指導
全国の介護福祉現場で働く医療/介護従事者の方向けに、防護具の着脱や施設内のゾーニングに関する感染対策指導を実施しました。

■2021年 8月 令和3年8月豪雨災害緊急支援
佐賀県の武雄市および大町町の避難所への物的支援と感染対策指導、また地域の在宅避難者の方を巡回する保健衛生活動を実施しました。

■2022年 9月 台風14、15号緊急支援
台風14号により甚大な被害を受けた宮崎県に対し、救急救命士スタッフを派遣し物資の緊急支援を実行しました。また、台風15号により甚大な被害を受けた静岡県静岡市清水区に対し、医療チームを派遣し緊急物資支援を実施しました。

■2023年7月 豪雨で被害甚大な福岡県久留米市へ医療チームを派遣し、人的・物的支援実施
7月10日以降の豪雨により甚大な被害を受けた九州北部に翌11日より医療チームを派遣のうえ、福岡県久留米市にて支援ニーズの調査および人的・物的な緊急支援を実施しました。

■2024年1月~現在 令和6年能登半島地震・奥能登豪雨緊急支援
令和6年能登半島地震において2024年1月4日から4月20日まで、避難所への医療者常駐支援を展開し、輪島市、珠洲市、能登町、七尾市の合計8ヵ所の避難所および診療所に対して看護師常駐支援と医師・看護師による巡回診療を行いました。また9月21日に発生した奥能登豪雨災害では、発災当日から看護師を中心とする医療チームを派遣し、10月11日まで輪島市内15カ所の避難所巡回を実施。また並行して、社会的孤立と災害関連死を防ぐため、応急仮設住宅に入居されている方々のコミュニティづくりの促進や潜在的な健康問題(医療、介護、福祉面)の拾い上げを目的としたサロン活動を継続しています。

ご支援方法・SNS

◆写真集の購入でご寄付
ジャパンハート創設者の吉岡秀人医師と団体の活動に感銘を受け、2013年からジャパンハートの活動地であるミャンマー、カンボジア、ラオスでの撮影を始めたフォトグラファー内藤順司氏が、その作品をまとめた写真集『ONE SKY』
2025年4月15日から7月15日の3カ月間、ジャパンハート写真集『ONE SKY』の 売上(消費税、送料経費を除く本体価格3,800円)のすべてを、ミャンマー地震復興支援として、JUNJI NAITO PHOTOGRAPHS 様からジャパンハートにご寄付いただけることになりました。
写真集「ONE SKY」詳細はこちら

◆ホームページ、SNSでも随時情報を発信予定
ジャパンハートホームページ: https://www.japanheart.org/
X(旧Twitter):https://twitter.com/japanhearttokyo
Facebook:https://www.facebook.com/NGOjapanheart/?locale=ja_JP
Instagram:https://www.instagram.com/japanheart_tokyo/

(認定)特定非営利活動法人ジャパンハート

(認定)特定非営利活動法人ジャパンハート 2004年、国際医療ボランティア団体として設立された、日本発祥の国際医療NGOです。「医療の届かないところに医療を届ける」を理念に活動しており、日本およびミャンマー・カンボジア・ラオスなどアジア諸国において無償で子どもの診療・手術を実施しその数は年間約34,000件に上ります。東日本大震災では450人を超える医療従事者を現地に派遣しました。また、新型コロナウィルス感染症拡大による医療崩壊を抑制するため、「#マスクを医療従事者に」プロジェクトを行い、クラウドファンディングで1万5千人の方から1億5千万円以上のご支援をいただき、200万枚以上のマスクを約700の医療機関に配布いたしました。

PAGE TOP