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スタッフインタビュー - 百瀬さん

ジャパンハートでは、様々なバックグラウンドを持ったスタッフが活躍しています。
各国スタッフに、入職の理由、プロジェクトを進める上での苦悩、将来のビジョンなどを聞きました。

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百瀬 雄太(ももせ ゆうた)
ジャパンハート ミャンマー事業 Managing Director

  • <出身地> 愛知県
  • <入職年> 2016年4月
  • <趣味> ラペイエを飲むこと、モヒンガーを食べること
  • <経歴> ジャパンハート ヤンゴン事務所のManaging Directorとして、ミャンマーにおける医療事業・社会福祉事業・その他新規事業立案を統括。視覚障害者の医療マッサージ資格化法整備を進めており、ミャンマー社会福祉・救済復興省とともに資格化委員会を立ち上げ、幹事兼副議長としてミャンマーの障害者分野での政策立案を行っている。前職は新卒でデロイトトーマツコンサルティングにて経営コンサルタントとして勤務。一橋大学法学部卒。

■百瀬さんの業務内容を教えてください。

基本的には、ジャパンハートのミャンマー事業に関するあらゆる仕事を行っています。 ジャパンハートのミャンマー事業は、医療活動では、①ワチェ慈善病院での活動、②専門ミッション(先進医療の提供)、社会福祉活動では、③Dream Train、④視覚障害者自立支援事業 の4本が柱の事業です。その他、2008年のナルギス被災地支援や、奨学金事業、またいろいろな新規事業の検討をしています。もちろん、それぞれ担当者がいるプロジェクトが多いので、そういう人たちと協力して、プロジェクトを進めています。

私自身が力を入れているのは、④視覚障害者自立支援です。ジャパンハートは視覚障害者の支援で2010年から職業教育に力を入れ始めましたが、現在はミャンマー政府とともに政策委員会を立ち上げ、障害者に関する法律/政策立案を行っています。委員会では、社会福祉省の事務次官が議長で、私は副議長をやらせていただいています。

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視覚障害者を守る法整備に関して、委員会での決定事項に関して大臣に報告・相談し、今後どのように国家レベルでの承認を取っていくか話し合っています。

ジャパンハートに入ってから強く実感したのは、こうしたミャンマーのようないわゆる発展途上国では、医療がない、食糧がない、教育がない、というのと同じように、必要な法律もなければ、政策もないということです。そして、世の中では、医療、食糧、教育など一般に国際援助として考えられているものだけでは救われない部分があり、それが「Social Policy」といわれ、政策でしか守っていけないような人々もいる、ということが分かりました。

先進国では視覚障害者をはじめあらゆる障害者、社会的弱者を守る法律や政策がしっかりしているのですが、ミャンマーではそうしたものがないため、多くの視覚障害者が、社会に出ず、家で何もせずにいる人が大半です。
ミャンマーも2016年に政権が変わってからいろいろな分野で、ルール作りが積極的に進められており、ちょうど視覚障害者分野でも検討をなされる動きがあり、ジャパンハートがその幹事としてかかわっています。

視覚障害者を守る法整備は、ミャンマー役人も含めて委員会の誰も知りませんでした。そこで、私は、まず近隣諸国ではどのような政策があるかを調べ、ミャンマー国内や近隣諸国の専門家とお会いし、法律でいうと1条ごとに各国はどのようになっているのかを調べています。
それをミャンマーに当てはめるとどうなるかを考え、草案を作っています。その草案を元に委員会で全員で話し合い、政策を1つずつ作っています。実際にミャンマー政府の役人や視覚障害者の代表の人たちと、ミャンマーの政策を作ることはとてもやりがいを感じています。

また前職が経営コンサルタントだったのですが、当時の仕事もそのような形で進めることが多かったので、ものの考え方や調査手法、プレゼンの仕方など、前職の経験が役立っているなと思っています。

実際に法律・政策になっていくには長い時間がかかりますが、最近は毎月1回首都のネピドーで、少しずつ議論を重ねています。 国家レベルの政策にするために、大臣などの要人とも面会しながら話し合いを進めていけることは、本当にやりがいを感じています。

■ジャパンハートに入職した理由を教えてください。

もともと国際協力分野で仕事をしていきたいと思っていました。小学生、中学生ぐらいのときからずっと外国というものへの憧れはありました。大学1年生のころからバックパッカーで世界中を旅行しており、これまで行った国は56カ国になります。東南アジアにはじまり、インド、中東、アフリカ、南アメリカ、いろいろな国に行きました。

その中でうまく言葉にはできないのですが、発展途上国というもの、その活気、明るさというポジティブな面、また難民キャンプだったり、極端な貧困の世界だったり、そうしたネガティブな面も含めて、とにかく世界への好奇心がつきることなく、いろいろな発展途上国に行きました。その中で、これだけの刺激と感動を与えてくれた発展途上国で自分も働きたいと思うようになり、大学生のころは国連などの大きな組織に入りたいと思っていました。

とはいえ、なかなか新卒から発展途上国関係の仕事をできる会社もなかったので、まずは経営コンサルタントとして数年働き、力をつけ、その後途上国の現場に出て行こうと思いました。できるだけ早く途上国の現場に出て、その中でいろいろなことを経験し、専門性をつけていきたい、と。

そこで経営コンサルタントとして2年半働いたところで、途上国で働くことのできる仕事を探しました。外務省関係、青年海外協力隊、NGOなどいろいろな組織の内容を調べ、応募しましたが、その中で、ジャパンハートを選びました。当時そこまでジャパンハートのことを知っているわけではなかったのですが、単純に、ジャパンハートミャンマーのManaging Directorという幅広い事業の責任者ポジションをちょうど募集していたんですね。

それで、応募して話を聞いてみると、医療や社会福祉などいろいろな分野をやっていて、また保健省や社会福祉省などとも話しながら案件を作っていける面白そうな仕事であること、何より責任者ポジションということで相当チャレンジングな環境に身をおけるのではないか、ということに魅力を感じ、ジャパンハートへの入職を決めました。

もちろん、入るときは相当迷いました。国際協力の世界でキャリアを積んでいこうとすると、最初の現場経験で何ができるのか、どのような専門性が身に付くのか、そういうことは実際に入ってみるまで分からないですよね。先を考えて、一番いい選択をしようとすればするほど当時は何も決められませんでした。先を見ようとしても、結局のところは入ってみなければ分からないですし。

そうすると、これまで国際協力の世界で活躍している人のキャリアを参考に自分がどのような道を歩んでいくのかを考えるのですが、国際協力の道を進む人は、まずは青年海外協力隊に参加していたり、大学院で修士を早めにとったり、外務省などの政府系で働いていたりという人が多いという印象を受けました。その中で、ジャパンハートという全く未知なところに踏み込むというのは、大きな賭けなのかな......と思いながら、でもそこでできる可能性を信じてチャレンジしてみようと思い、入職したことを覚えています。

また、入職時は25歳だったので、事業責任者としてやっていけるのか、というところは不安がありました。

■仕事をする上で百瀬さんが大切にしていることは何ですか?

時代を意識して、急速に変わっていくミャンマーで求められるNGOになること。自分でリーダーシップを持って、新しい道を切り開いて行くことです。

「時代を意識して、急速に変わっていくミャンマーで求められるNGOになること」を実現するためには、今あるプロジェクトを今後どういうビジョンを持って進めていくか、新しいプロジェクトをどのようにやっていくか、などが常に問われます。

ジャパンハートが活動を始めた2004年は軍事政権のど真ん中でした。50年におよぶ軍政で国の経済は疲弊していましたし、軍政という事情から外国の援助も極端に入りにくい時代でした。しかし、2010年に民政移管され、2016年にアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟が政権をとりました。国は民主化され、外国援助も外国投資も多くなり、経済も少しずつ発展してきました。そうした中で、2004年のころのミャンマーのニーズと、今2018年のミャンマーのニーズって違ってきていると思うのです。

医療も草の根医療として誰でも救っていくだけではなく、先進医療のニーズも増えていますし、Dream Trainのような養育施設だって同じような養育施設が増えている今日、ミャンマー教育の大きなニーズとして、ミャンマーをリードしていく人材の育成が求められていると思い、そうしたビジョンを掲げています。先ほどの視覚障害者の法整備もそうですが、急速に国が変わる今、ミャンマーの国としての発展段階に応じて、必要なプロジェクトを提供できる団体になれるよう、常に考えています。

それを誰かが推し進める必要があるので、常にそうしたことを考え、ローカルスタッフ含め話し合い、新しいテーマをどんどん考え、それをリーダーシップを持って、明確な道筋を示していけるように頑張っています。

あと、ミャンマー人・ミャンマー文化を尊重することも心かけています。ミャンマー人によって作られたものはできるだけ変えないようにして、現地人の意見を取り入れるようにしています。

■ミャンマーで仕事をしていて大変なことは何ですか?

業務上発生する政府とのやり取りで大変なのは、ジャパンハートの事務所があるヤンゴンから300km離れたネピドーにいかないと何も進まないことです。今のミャンマー政府は様々な背景からすぐに動き出すことが難しいので、いろいろな承認プロセスが進みません。政府とのアグリメント締結もそうですが、先述した委員会を設立するまでにも、約1年間毎月のように、時にはもっと多くの頻度、このネピドーまで往復600kmを移動したことは大変でしたね。

また、ミャンマーの文化では、一度政府や活動地で、ジャパンハートを代表する立場で「やる」と話したプロジェクトをやらないと、その後の関係性が極端に悪化します。そうしたひとつひとつの発言も気をつけなければいけません。

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ミャンマーの少数民族地域にて、現地での医療ニーズを調査しています。

■ミャンマーではどんな生活を送っているのでしょうか。

居住地であるヤンゴンを拠点に、毎月、医療活動地のワチェ、首都ネピドーなどへの出張が入り、なんだかんだ月の半分は出張しているという生活です。都会にも田舎にもいろいろ行くことができるのは恵まれているなと思っています。

ミャンマーはでなかなか体を動かす機会がないですが、極力運動するように心がけています。最初のころは現地の食事ばかり食べていたのですが、味が濃かったり、油が多すぎたりするので、最近は現地の人がやっている安い中華・韓国・日本食を食べています。

■今後仕事でやってみたいことを教えてください。

視覚障害者の法整備/政策立案を成し遂げたいですね。1つのNGOが国の法律を作ったとなると、ミャンマー国内に与える影響も大きく、多くの人の状況が結果としてよくなればうれしいと思っています。そこに至るまでには、社会福祉省だけではなく、国会だったり、立法府なり、そういうところとの調整も必要になってくるのでしょうが、そういうチャレンジを乗り越えて、ミャンマーが福祉国家であるといわれるような政策を作っていきたいと思います。そのために、社会福祉省の大臣を日本に招聘して、日本のような障害者の取り組みが発展した国の状況を見てほしいと思うので、そうした取り組みも進めていきたいです。

あとは、今吉岡最高顧問とともに話しているのは、「寄付だけで回る病院」の設立構想です。病院の建築費から治療費、薬代、入院費に至るまで、全てのお金を寄付でまかない、お金がない人も無料で治療を受けられるモデルです。ミャンマーは国民の寄付率が世界一です。イギリスのチャリティーエイド財団が毎年発表している「World Giving Index」という寄付動向レポートがあって、国民が1人当たりどのくらいのお金を寄付するかの指標なのですが、ミャンマーはこれが4年連続世界一です(2位はアメリカ)。この特性とジャパンハートのもつ日本の医療者とのネットワークを活かして、ミャンマーが誇る寄付文化を前面に打ち出して、ミャンマー人の誇りになるような病院ができたらいいと思っています。

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ミャンマーでの「寄付だけで回る病院」の構想を、吉岡最高顧問とともにミャンマーの巨大財閥と面会し、協力可能性について模索しています。

そのためには、保健省などと話して、外国人医療者がミャンマーで医療活動する上での規制緩和なども必要ですし、日本の医療者との強いネットワークも必要だと思うので、そういう取り組みもしていきたいです。

■ジャパンハートはどんな団体ですか?

ジャパンハートに入る前、前職をやめるということや、他の外務省関連や青年海外協力隊、NGOでキャリアの選択を本当に迷ったことを覚えています。でも入って心からよかったと思っています。本当に大きなå人生の転機になりました。

給料や待遇は大きく減っているのは事実ですが、それをはるかに超えるやりがいを感じます。
ジャパンハートでは自分でリーダーシップをとって仕事を進められるシーンが多いです。社会の問題を調査し認識するところからはじめて、それをどのようにしたらよくできるかを自分で考えて、ジャパンハート内部はもちろん、政府やミャンマーの関係者の理解を得ていければ、何でもできる組織風土には本当に感謝しています。

団体としても、いろいろな新しいプロジェクトの話もあれば、これまで築いてきたプロジェクトもあり、たとえ若くても、入ってすぐに相当なことを任せてもらえる団体なのではないかと思っています。

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