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看護学生 |
私は日本で高校を終えてから、看護と英語を学びにオーストラリアの大学へ行き、マルチカルチャリズムの国の中で多くの国籍、文化、価値観を持つ人々と出会い、恵まれない、苦しんでいる世界の人々のために働きたい。という思いを強く持つようになり今後は大学院で国際保健を勉強してみたいと思っていました。 そんな時、海を越える看護団のホームページで、学生の短期ボランティア研修の募集を行っていることを知り、学生の間に実際に国際医療を経験してみたい。という思いから参加させてもらおうと思ったのです。 ミャンマーという国について、私は日本にいるときは国名と位置以外は何一つと言っていいほど知らなく、アジアの一国くらいの意識しかありませんでした。しかし、オーストラリアに来て、ミャンマーから留学してきている友人ができ、ミャンマーという国に興味を持ちはじめ、調べていくうちに、「発展途上国」「貧しい国」「政治的にも難しい国」というようなイメージを持つようになりました。そしてサイクロンの被害があってからは「何かをしてあげたい。助けてあげたい」。そんな気持ちをもったのです。 しかし、今、オーストラリアに帰ってきて、そんな気持ちを持っていた自分がいかに思い上がり、勘違いをしていたのか。そんなことを考えさせられています。 ワッチェの病院はたしかに設備も人でもたりていなく、中にはそこでは治療ができない患者さんなどもいて、「日本やオーストラリアならばもっと最先端の医療を受けることができるかもしれないのに」と思うことも多く、それは心苦しいものでした。 しかしながら、私の想像とは裏腹に、驚くほどにミャンマーの人々は元気そうで、明るく、幸せそうに生活を送っていたのです。病院内では医療スタッフと患者さん、またその家族がみな助け合って成り立っていましたし、ジャパンハートの先生方や看護師さん達も皆、何かを「してあげる」という雰囲気ではなく、いわば「共に生きている」という印象をうけました。 同じような物を食べ、同じような暮らしをして。上からではなく、同じ目線に立って。そこから彼らにあった医療をするのだとおっしゃった吉岡先生のお言葉は私にとって、衝撃的で、心うたれるものでした。 哀しいことに、患者さんの病状は素人目にもオーストラリアの病院で見るものよりも遙かに深刻にみえ、その原因はやはり普段の衛生状態(たとえば川の水で体を洗うがその水自体が汚染されている)や金銭面の事情、交通の便などが原因での治療の遅れといった、改善が必要と思われるものも多かったのも事実ですが、しかし、ミャンマーには今でも忘れられることのできない素敵な患者さんの笑顔があったのもまた事実です。 つたないミャンマー語でミンガラーバとあいさつをした時や、笑いかけたときに彼らが返してくれた満面の笑みは私が今までみた誰の笑顔よりも綺麗で、私まで幸せにしてもらった気分になったのです。 人々と共に生き、その人達にあった医療を提供しているジャパンハートに出会うことができ、自分を見つめ直すことができた2008年の夏は私にとって一生の宝物です。 |
看護師 |
ミャンマーに到着した日から説明もそこそこで忙しい日々が始まりました。4時に寝て6時に起きるという生活からその忙しさを想像し難くないでしょう。またそれに加え異国の地で言語も違う中でも看護が出来たのは、そこに日本の医療、看護があること、スタッフの見ている方向が一緒ということ、そして何よりもミャンマー人の助けがあったからだと思います。 国が変わると常識も変わります。しかし日本の医療と看護がそのままそこにあるので分からない事はあっても戸惑うことは少なかったように思います。スタッフ間のやり取りやコミュニケーションも心地よく取れました。そして何よりもミャンマー人の優しさと協力があったからこそ急に来たばかりの短期の研修生でも順応出来たのだと思います。 また24時間患者を看ていくということ、患者の全責任が自分にあるということを日本にいる時よりもより切実に痛いくらいに実感することが出来ました。そして看護は提供者と受け手の相互作用から成り立っている事を再確認することができ、いろいろ色づけされていない看護の原点を見たように思います。 しかしその半面で多忙さが安全を脅かしているように思いました。時間との戦いでめまぐるしく患者が動くのでどうしても目先の忙しさに目が行ってしまいます。そうすると全体に目が行き届かなくなり、病棟全体の動きが把握できず、知らないうちにいろんな事が変わっていたりする事態が多々ありました。また多忙から睡眠時間が無く、多忙と戦う前に睡魔との闘いになっていました。提供者の安全が保てないということはイコール患者の安全を守れないということに直結します。患者の安全を確保しながら業務は遂行しなくてはなりません。最後の方は業務遂行が主体となってしまっているように思いました。看護の分野において多忙の中でも患者全体が看回せるように、患者の安全を確保できるように一部業務を改善していった方がいいのではないかと思いました。 また多忙にて短期生もなかなか質問できず、長期生もそれに答える時間が持てない事が多く時間を有効的に使えていない実際がありました。それはどちらが悪いわけでも無くシステムの問題なのでその穴を埋めるためのシステム、マニュアルのようなものをきちんと作成し初めから短期生がある程度はひとりで動けるようなものを作った方が両者にとって有効的ではないかとも思いました。 現地滞在4日間という短い期間ではありましたが実りある体験になりいろんな事を考える時間になりました。今行っている活動に自分が参加できたことは私の宝になりました。 |
看護師 |
構成:1、研修について 2、生活について 3、最後に 研修について 六日間の短期研修は、始め驚くことばかりでした。日本では見たことのないような疾患、症状の患者がいたり、病院・病棟の設備や様子、医療物品など、日本と比較しては驚いてばかりいました。しかし、その場所にはその場所の医療や看護があり、これが途上国の医療の現状なのだ、と除々に思うようになりました。 ミャンマーでは医療物品が十分にない分、一つ一つの物品が貴重であるから丁寧に取り扱い、術中に使う器具も余分な代替がない分、不注意で不潔にしないように注意を払いながら看護を行う、ということを経験しました。もちろん日本でも薬品や物品を無駄にすることは許されませんが、ミャンマーでは必要なものがないときに簡単に手に入る状況ではないということが日本との違いであるからこそ貴重品なのだと思いました。 そういった状況の中で、長期研修の看護師の方々は、常に明るく病棟を歩き回り、処置を行い、物品の準備や片付けをしており、さらに、ミッションが始まってからは、連日早朝から深夜2、3時まで働き、短期の私たちも眠い目をこすってやっと起きている中で、彼女たちはそれ以上によく働いており、その姿に感心しました。同時に、何が彼女たちをそこまで支えているのだろうか、と私は研修中ずっと思っていました。持久力や精神力がなければこのようなハードなミッションを行うことは不可能ですが、それ以上に彼女たちを支えているものは、「意志」なのだと思いました。ミャンマーの人々の為に精一杯自分のできることをしたい、そして自分も成長したい、という堅い意志があるからこそ、ハードな日々を乗り越えることができるのだと彼女たちを見ていて思いました。また、同じ意志を持った仲間とお互いに助け合い、切磋琢磨しあう環境も彼女たちのモチベーションを維持している要因だと感じました。 生活について 生活の面では、10人前後の共同生活は初めてでしたが、協力して家事を行い、お坊さんの敷地内ということもあって静かに穏やかに生活することができました。特に、食事では、現地で採れる食材を使って料理をしたり、ミャンマー人の作るミャンマー料理に舌をうったり、現地の人々と同じ、またはそれに近い生活をすることは、彼らの生活を知る上で大切なことだと思いました。 ミャンマーの人々は、とても明るく、笑顔が印象的です。言葉が通じず、言いたいことが伝えられないもどかしさをお互いに感じていたけれど、それでも笑顔を向けてくれる大らかさや、彼らの純粋な心を表すきれいな瞳が忘れられません。しかし、彼らの生活水準は低く、受けたい医療も満足に受けられない人がいるのも現実です。ある時、腸閉塞の患者が入院しました。医師は、原因がわからないので都市部の病院への紹介を勧めましたが、本人も家族も「お金がないから病院へはいけない。ここにいられないなら村へ帰る」と話し、結局ワッチェ病院で治療をすることになりました。幸い彼は治療を受けられましたが、他にもお金がないために、命を落とす人がきっといるのだろうと現実を垣間見た気がしました。 また、手術を受けに来る患者と家族の背景には、長い間苦労してお金を貯めてやっと病院で手術が受けられるという、家族みんなの期待と希望があり、それを私たちは重く受け止めて最大限の看護にあたらなければならないと感じました。ミッション中に心肺停止して意識が戻らない男の子の容態が気にかかります。いろいろな要因があるけれど私たちの観察不足も一つの要因であるし、ご両親の涙や家族がずっとお祈りをしている姿をみると胸が痛みます。 この研修を通して、自分の技術・知識不足を強く感じたと同時に、ミャンマー人の期待や希望にこたえられるよう、彼らに必要な医療や看護を提供できるよう、自分に何が必要か、考えさせられる6日間でした。 最後に この短期ボランティア看護研修に応募したのは、実際の海外の医療現場を体験し、自分にとって医療ボランティアとは何かを考えるきっかけにしたい、という動機でした。今回の研修は、初めての海外の医療現場ということもあって私にとって未経験なことや驚くことが多々ありましたが、自分自身を見つめなおすきっかけになったと思います。そして、吉岡先生や河野看護師、現地のスタッフの方々のお話を聞いて、自分の世界の狭さを感じ、看護団の活動にさらに興味を持ち、この研修を通して自分にとって大事なことを考えるきっかけになったことが大きな収穫です。 最後に、海を越える看護団の皆様、吉岡先生、このような貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。また、現地日本人スタッフ、ミャンマー人スタッフの方々にも研修中はお世話になりました。ありがとうございました。 今回の研修で経験したことや感じたことを忘れず、今後長期研修への参加を希望したいと思いますが、その時にはまたどうぞよろしくお願いいたします。 |
看護師 |
以前から看護師としてボランティアをしたかった。いろんな有名どころのボランティア団体の説明会や資料を請求したが、どれもぴんと来るものがなかった。それは看護師として働きたいという前提条件にそぐわなかったり、求められている能力や経験が自分とはかけ離れているような気がしていた。自信が中々持てなかった。自信をつけるために小さな努力はしたが、足踏みをたくさんした。 海を越える看護団の研修に参加したいと思ったのは、看護師として働ける、現在の能力じゃなくやる気を求められていると感じたからだ。やる気なら負けない気がした。 行く前はそれでも、どんな活動をしているのか、医療が本当に求められているのか、そして自分が現地でやっていけるのかという不安などがあった。 現地の活動は正直きつかった。 いろんな制限があった。そしてなんとか自分達でやりくりしていかないと、やっていけない、責任の重さを感じた。 体力的にも大変だと感じた。 初日は正直、情けないことに体力的にきつく、本当に待ちわびた研修だったのに思わず頭の中で後何日だったっけ?と考えてしまった。体力的不安は以前より抱いていたため、少し自信をなくした。 しかし周りのスタッフの姿を見て、自分のこの考えは違うと思った。 スタッフはみんな体力的にぎりぎりのところで頑張っているように見えた。支えているのは意思の力とだと感じた。意思をもってここに来て、待っている患者さんを診る、待っている手術をする、人とちゃんと接したい、やるべきことをやりたいという意思があるから、身体がついてきて、頑張れる。そのように感じた。 短い研修期間だったが本当に充実感を感じた。あまりに充実感を感じ、ずいぶん長い間居た気がして、また、まだまだ居たいと感じた。自分の甘えを実感したり、すべきことが少し見えてきたり、そして研修を終えて依然より自分が少し何事でも前以上に頑張れる気がした。ある意味では期待通りの研修をさせていただき、ある意味では期待以上のものを得られた研修となった。 最後に、 疑問であった医療が本当に求められているのか?ということの答え、 私が短い期間で得た答えは“求められている”という結論だった。 ヤンゴン市内ではショッピングセンターがあったり、いろんな外資系企業があるなと予想以上に発展した街だった。 しかし今回研修に行った地域をはじめ、地方では格差があり、とてもシンプルな生活があるように思えた。 実際の医療の事情は、残念ながら知識として持っていないが、病院で逢った患者さんたちは日本ではすぐに病院に掛かり、ここまでの状態(大きさなど)にならないんじゃないかという印象だったり、「ずっと痛かったんだよ。」と何年も我慢してきた患者さんだったり、日本では生まれてすぐにするような手術でもある程度たってから病院にきて手術を受けていた。また医学知識が一般的に少ないという背景から、あんなに思いやりのあるミャンマー人だが外見的偏見は強いと聞いた。 この病院(活動)がなければこの人たちはこのまま病院にかかれなかったのか?痛みを抱え続けたのか?強い偏見を受け続けたのか、まだどれだけこのような人達が居るんだろうと感じる機会が多々あった。 日本でも現在医療はまだまだ求められている。しかしこの人たちは必要としていると感じた。 |
看護師 |
1週間の研修は、時にはハードでありながらも楽しく充実し、短期でしたが長年の夢が叶った満足感で終えることができました。 毎日ミャンマーの人々と関わる中で、彼らの相手を気遣う気持ちやお互いを支えあう姿勢、精神的・身体的なタフさには何度も驚き感心させられました。そして実際のフィールドに身をおきながら、自分自身や国際協力について改めて考えたり、途上国と日本の医療を比較する機会にもなりました。 国際協力というものは本当に必要なのか、必要ならどのようなあり方がベストなのかと考えることがあります。それは特に途上国の人々から、家族一緒に暮らせるのがいちばんの幸せだから満足だと言われる時です。そのような時、私は自問自答してしまいます。日本の文化や習慣、考え方や価値観をものさしにして途上国を見るから、彼らには支援が必要だと判断しているのではないか。そして偶然にも何不自由ない国に生まれ育っただけの自分が、選ばずして途上国で暮らす人々に何か支援していること自体に満足しているだけなのではないか、と。この問いに対する結論はなかなか出ません。しかし生きていくうえで最低限必要とされるものが明らかにないケースだけは、絶対に支援が必要だと思います。今回巡り合った患者さんのバックグラウンドや疾患の経過を聞き、最低限の医療を様々な制約で受けることができない彼らの現実を目の当たりにし、強くそのように思いました。 研修自体については、研修というよりひとりの即戦力として活動できることや、日本ではできない判断や手技が経験できることに満足しました。そして限られた人手と物資の中でいかに効率よくより質の高い医療を提供できるかについても考えました。それは、個人差はありますが研修生は少なくとも3〜4年以上の臨床経験があり、かつ環境にはやく馴染めるよう一度は途上国に行った経験があると望ましいこと。そして言葉の壁があるため、特にオペ前患者さんは不安が大きいと思うので、薬やオペに関する決まり文句はあらかじめ用意した紙を見せながら説明するなどの工夫がほしいことです。このようにすることで、患者さんと医療者双方の負担が少なくて済むと思いました。 1週間お世話になりました。ジャパンハートと海を越える看護団、先生の今後のご活躍をお祈りしています。国際協力というのは、人生それぞれのステージに応じて、また違った角度から相手を理解し支援できるものだと思います。今後も機会を捉え、細く長くこの分野に携わっていくつもりです。 |
看護師 |
体力には自信があるほうでしたが、長時間労働による足の痛み・むくみがかなりのストレスでした。普段の暴飲暴食が、こういう形で現れる事に気付かされ驚きました。 睡眠時間は、毎日2〜3時間でしたが日を追う毎に動機や頭痛は消え慣れていくものなのだと不思議な感覚でした。 活動としては、手術室だけでなく病棟で現地の患者さんと接しケアしていく事が出来、大変貴重な体験が出来ました。 ここでは医師の指示表というものはなく、看護師が全て判断・実施していく事の難しさや責任の重さを感じました。 1週間という短い期間で、私は何かお手伝い出来ればという気持ちで研修に入りました。 でも後の事を考えると、誰でも出来るお手伝い的なものより皆がもっと効率的に動けるよう環境を整える事をした方が良かったのではなないかと振り返ります。 患者を探したり、物を探したり、足りなくなったり・・・。 手術の準備・器械出しがスムーズに出来るよう工夫する事は難しい事ではないけれど、長期の看護師には皆睡眠不足や疲労がみられました。 足が痛い・眠いだのと、短期で参加した私は弱音を吐いていないでもっと頑張るべきだったかもしれません。 限られた看護師と溢れる患者。もっと考え、勉強しなければいけないけれど、それぞれに持っている知識を引き出し合う時間も必要だと思いました。 また、やりにくいと感じている事を、どうすれば少しでもやりやすくなるか考える時間も必要だし、やりにくいと感じているかという個人の感覚も大切だと思います。 色んな知識を持っていなくても、自分の経験してきたほんの一部を経験していない人達に残していく事は出来たのではないかと反省します。 最後に、ミャンマーの患者さん・その家族に助けられケア出来た事に感謝しています。 彼らは私達をいつでも良く見ていて、言葉が通じない時でも何に困っているか察し、手助けしてくれました。あの笑顔や優しさに何度も涙が出そうになりました。 この研修に参加してみて、先生が言う本気という意味が分かりました。 私はまた日本で、お金や自分の事ばかりを考える現実に戻ります。 日本に色んなものを残し、途上国で働く人達を羨ましく思います。ここで2年・3年と経験を積む事により、大きな成長や自信に繋がる事が想像出来るからです。 与えられた業務をこなすだけの毎日にならないよう、今回の研修で学んだ事を忘れずに努力していきたいと思います。 |
看護師 |
初めての海外ボランティアで、不安もありましたがそれ以上に安易に考えていました。病院到着するなり、すぐ包交の介助、それもいつまで続くかわからなく、いつ休憩をとれるのだろうと思いました。ミャンマー人に会うのも触れるのも初めてで、何をどうしたいかも考えていない状態でもありました。勿論、北海道からいきなりのミャンマーの暑さにも身体がついていけませんでした。その日のボランティアが終了したのは夜中の12時頃で、もうヘトヘト状態でした。夕食も口に合わなく、早く寝たいと思うばかりでした。しかし、ベッドに横になっても暑いし、周りに人がいる状態で落ち着かない気分で一睡もできませんでした。朝は6時前に起床しての寺院の境内の掃き掃除を1時間行いと、普段の生活では考えられない事でした。それなのに何故、長期研修者は続けていられるのだろうと疑問を持ちました。そして看護の原点を見つけたかったはずなのにと、ボランティア自体を拒否する気持ちになってました。 それが不思議なものですが、3日目の午後あたりからやる気が起ってきたのです。今までなんてもったいない時間の過ごし方をしていいたのだろうと思い始めました。それはミャンマー人が言葉を全く話さない私を拒否しないで、色々親切にしてくれたからなのか、長期のボランティアの方々の仕事に対する意欲に刺激されたからなのか。それらが混じり合って私の何かが変わり始めたのかは今でもわかりません。気持が変わることで、ミャンマー語を話したい、ミャンマー人と関わっていきたいと積極的に動けるようになってきました。そして、食事もおいしくなり、境内の掃除も苦痛でなくなってきたのです。 私は4日間で何かを得たのか、看護の原点が見えたのか、心に届くものがあったのかは言葉にはできません。ただ、変われた自分がいただけでした。 後は長期ボランティアの方々が成長していっているのがすばらしいと思え、うらやましかったです。若い時にこの経験が出来ていたらと、自分の人生を後悔しました。 吉岡先生がハードルを低くして、誰でも海外ボランティアに参加できるシステムにしてくれたおかげで、本当に良い経験ができたと思っています。そして辛い経験があるからこそ、成長できると気付かされました。 人と触れ合い、自ら何かしたいと思えるようになったことが私にとっての本当のボランティアだったと思いました。 |
栗田慶子 大学生 |
![]() ボランティアというと、どこか偽善的であったり「してあげている」という意識があったりするイメージがあるが、ジャパンハートの活動はそんなことを微塵もかんじさせない。看護師さんもお医者さんも患者さんも互いに「生かされている」関係がそこにはあった。吉岡先生は私たちと出会ったその日から帰る日まで、空いた時間があれば色んな話をしてくださった。話といっても医療の話だけではない。先生の生き方、人生観、ミャンマーのこと、日本のこと、戦争のこと、歴史のことなど多岐に渡った。 それに私は最初驚いた。私の持っていた医者というイメージからかけ離れていたからだ。私にしてみれば吉岡先生は医者というよりは経営者、哲学者、歴史学者、そしてなによりも人生の先生というかんじだった。自分の知識のなさに落胆しつつもどの話も興味深く、私に考えるヒント、生きるヒントをたくさん与えてくださった。 私は21年間生きてきたが、そのなかで尊敬できる大人に初めて出会えた。ジャパンハートの方たちと過ごした1週間で、時の流れが目まぐるしく速い日本で生活しているときには気づこうとしなかったことにたくさん気づくことができた。人との触れ合い、あたたかさ、生きるということ。社会に出ることを前にして、焦りや不安ばかりが募っていた私にとってミャンマーでの経験は貴重だった。 こんなにも一生懸命がんばって生きている人たちがいる。自分もがんばろう。心から来てよかったと思った。ミャンマーでの出会いを胸に、自分の信じる道を見つけ、迷うことがあっても一歩一歩進んでいきたいと思う。 |
新宮祥子 大学生 |
![]() 私は、以前から途上国を対象とした国際協力の仕事にとても興味を持っていて、それに"壮大なプロジェクト"の様な国際支援をイメージしていました。 しかし、今回この派遣見学に参加して、現場に行き実際にその様子を拝見させていただくと、私の想像とは全く違う、私のそれまでの考えを根っから覆すような地道で実にシンプルな活動を一生懸命に毎日毎日繰り返す研修生の姿がありました。 毎朝、早朝から患者さんの見回りをし、夜はどんなに疲れて帰ってきても自分たちの食事作りや掃除洗濯は決して怠らず毎日患者さんを想い勤しむ姿に大変感銘を受けました。 私はそんな彼らの姿を見て、そこに"本物"の国際協力を垣間見たような気がしました。 |
江口友起 大学生 |
![]() 自分の中に歴史性を持つことの重要性を非常に感じました。最後の日に先生とザガインヒルに行ったとき初めて自分のバックにある歴史と自分のつながりを感じました。 頭では昔ここで多くの日本兵がなくなって…ということを理解していたけれど始めて五感でその歴史の重みを感じました。そして自分の無知がとてつもなく恥ずかしく、とてつもなく罪なことだと思いました。また、歴史を学ぶことの意味を先生のお姿を通して感じることができました。 先生には何十年何百年何千年の歴史と知恵があり、それらに支えられた先生はとても強い人でした。またとても強い人だから過去の悲惨な歴史の意味づけを日々着実に変えることができるし、明るい未来の道を切り開いているのだと思いました。 歴史を学ぶことの重要性を知った今、先人に感謝するとともに、沢山勉強して生きる知恵を身に付け生きていけたらいいなと思います。 またジャパンハートがとても自然体であるということを非常に強く感じました。ただ誰かの役に立ちたい、というそれぞれの思いを医療を届けることで日々形にしている。毎日毎日患者さんのためにエネルギーを放出しているはずなのに決して疲れきった顔をしていない、むしろ皆様のキラキラした笑顔がとっても印象的でした。 それはきっと皆様の芯の強さゆえであり、また放出した以上のエネルギーを吸収しているからだと思いました。自分に正直に生きることがこんなにも難しく、こんなにも素敵なことか、と思いました。本当に手に入れたい幸せや目標に到達するためには、その一つの思いを大切に日々自分と戦っていかなければならない。生きるうえでの最大の敵は欲や惰性を持った自分自身であるのですね。 また、同時に最大の見方も"自分を信じる"という自分自身であると感じました。心のベクトルに従い歩いたその過程が道を築くのだと思いました。きっとこの気づきは今後の私の精神的な支えになると思います。 |
二宮菜穂 社会人 |
![]() 1人の命を助けることが、これほど大変(それは「大変」という平易な一言で表すことができるものではないのだが)であるのに、ボタン一押しで多くの命を奪う戦争というものは、本当になんて愚かでバカらしいことだろう。 またミャンマーという日本の日常からはかけ離れた場所で、自分と同じ日本人がその日々を、人生の一部をそこで奉仕しているという現実を、メディアを通してではなく彼らと数日を共にするという形で関わることができたことは、私自身に大きなプラスとなるものだった。 私はアジアの国々が好きで既に何ヶ国か旅をしてきたが、今まで日本人であるということで嫌な思いをしたことはない。むしろ日本人であることでよい感情を持たれることのほうが多かった。今までは単なる偶然だと思っていたが、ミャンマーから帰国して少し考え方が変わった。きっと多くの国でジャパンハートの人達のような日本人がいるのだろう。そうした人達のおかげで、私達日本人の過去も少しずつ形を変えていっているのかもしれない。そう考えると、もう2度とあのような過ちを犯してはいけない、そしてそれができるのは今を生きる私達だ。 途上国での医療研修と聞くと、何となく重い感じがするかもしれない。それはある一面では確かにそうだけれど、吉岡先生はじめスタッフの方たちの間にはいつも笑顔と笑いが耐えず、想像していたよりもずっと明るいノリで私は正直ホッとした。でもそれは単なる軽いノリというものではなく、私の想像の及ばないような過酷な経験を乗り越えてきたかたきたからこそ生まれる余裕なのだと思う。 |
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看護師 |
![]() 研修中に感じた日本人スタッフの「困っている人を助ける」という純粋な気持ちが私の中ではっきりしたものになったのは、3ヵ月後の今です。研修後帰国してすぐ、国際支援とは別の、自分の中でやり遂げたいことに着手したため、振り返る余裕がなかったということもありますが、研修中はなんせみんな寝ないで働いてるので、スタッフや患者さんとの関わりで感じたことを、吟味する時間はありませんでした。 5月にサイクロンがミャンマーを襲い、私の仲間が3人、ヤンゴンへ援助に向かいました。 3人はあるNGOのスタッフで、彼らとは2007年7月の新潟中越沖地震の被災地支援で一緒に活動した仲間です。つい先日2名がマルチビザ取得のため、一時帰国したため逢う機会があったのですが、国際支援業界のブラックな話にうんざりしました。「困っている人を助けたい」という気持ちを持っている人ばかりではない世界だし、逆にそんな動機を話せば「どん引き」な空気。そこで私はジャパンハートのスタッフの心の輝きを改めて知りました。吉岡先生のブログにありましたが、サイクロン後に入ってきたNGOが政府を批判したという現実もじゅうぶんあり得ることだと思います。それはミャンマー政府がもっとも嫌う行為でしょう。ジャーナリズムの排他は徹底していて、どんな情報網があるのか分かりませんが、知り合いの記者が、今回ビザを取得できなかったという話も聞きました。軍事政権を批判して非暴力的に民主化へ導けるのであれば、批判の意味もあるのかも知れませんが、すぐにそんなことができるなら、すでにミャンマーは変わっているはずです。時間をかけて理解を深めるべく積み重ねを壊すような活動を本当に残念に思いました。 若いうちにジャパンハートで国際支援の基礎を身に付けることは本当に人道支援者に必要なことだと思います。NGOの中でも「ジャパンハートは違う」ということを、短期研修で知ることができました。短い時間でしたが、受け入れてくださったスタッフの皆さんに心より感謝いたします。ありがとうございました。また世界のどこかで輝いているみなさんに出逢えることを楽しみにしております。 |
小泉達彦 医学生 |
![]() 質素な生活、長時間の労働、重い責任、無償、高温多湿…、いままでいろいろな人からきいて、自分でイメージしていた「国際医療」とは遠く隔たったものだった。 国際医療には興味があったが、正直こういう仕事はすこしインチキなヤツがやるものだと思っていた。途上国では日本ほど医療不信や医療訴訟等の社会的圧力がなく仕事がやりやすいし、しかもより感謝される。自分も国際医療をやりたいと思ったときこういうメリットを考えなかったわけではない。 ところがここのスタッフの方々は、国際医療従事者なら誰もが放たずにはいられないそういったインチキ臭さがまったくなかった。この理由はいくつかあると思う。 ひとつは責任をもってやっていることだ。ふつうは数ヶ月から長くても一〜二年くらい派遣されそののち日本に帰国する。本当に責任感をもっている人は受け持った患者をほったらかしてすぐに日本に引き上げたり、よその国へ行ったりしない、と吉岡先生は行っていたがこういう発言からも強い責任感がうかがえる。 次にボランティアだということだ。日本で医者をやれば、毎日すし屋で大トロを腹いっぱい食べられる。それだけ医者は儲かるし安定した仕事だ。高校生、大学生のボランティアとはわけが違う。 さらには質素な生活をしていることだ。これがいちばん驚いたことだ。ミャンマー人も同じような生活しているのだからたいしたことないという人もいるかもしれないが、日本での生活に慣れ親しんだ人がそのような生活をするのは、ミャンマー人のそれとはわけが違う。 |
小川明日香 高校生 |
![]() ここにきて、モノやお金や情報などに溢れている生活が必ずしも幸せではないのだろう、と感じた。 ミャンマーの人たちは、こんな悪条件の中でさえ「生きている」事が楽しそうだった。 水が汚くても、電気がこなくても、娯楽なんかなくても、彼らにとってはこの生活が日常で、当たり前のこと。 困ったことがあれば当たり前のように助け合える関係が彼らには築けているように感じた。 それに比べて日本には有り余るくらいのモノや、いやになるほどの情報、必要以上のお金で溢れかえっている。 それが戦後ずっと追い求めてきたはずの生活なのに、みんないつも忙しそうであまり幸せそうではないのはなぜだろう。 目の前にあるものばかり追いかけていて、当たり前にそこに存在しているものとか、目には見えないけれど本当はすごく大事なものとかが、日々の生活に追われすぎて見えなくなっているのだろう。 それが他人に対しての態度にも出てきているようでこの先の日本にちょっとした恐怖を感じる。吉岡先生が帰ってきてからの1週間はとても忙しかった。 一気に2〜3時間の難しいオペが続いた。 どこで噂を聞きつけたのか、外来の患者さんも沢山増えて、病院がひとでいっぱいになった。 吉岡先生が帰ってくるとこんなにすごいのだと、その人気に驚かされた。 吉岡先生は今まで一人ひとりの患者さんときちんと向き合ってきたから、現地の人の信頼が得られたのだと思う。 本当にそこで求められているものを、ずっとしてきたから患者さんが増え続けているのだろう。 国境なき医師団に入りたいと思っていたときもあったけれど、それは私の思っている国際医療ではないのかもしれない。 一瞬その場に行って通り過ぎただけでは、本当に困っている人たちの声は届きにくい。 現地の人と同じような生活をしてみて、初めてそこに住む大変さとか必要とされているものがわかってくるのではないのだろうか。 ジャパンハートは現地に住むことで、一人ひとりの患者さんとじっくり向き合えている。 死亡率を下げる事よりもひとりの人間を救う手助けをする事のほうが意味のあることだと思えた |
看護師 |
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